高度1万メートルで泡盛飲む ~謝花良政さん一晩中寝ず~

   

当時のタイ国行きは那覇国際空港からパンナム航空で台北へ、キャセイ航空で香港に乗り継ぎそして日本航空でバンコクへ着くコースであった。香港を飛び立って約1時間後、高度1万メートル、時速950kmの機内アナウンスが流れた。と、その時、誰か
2000_3_awamoriyomoyama_jyahana_ryouseiが持参の泡盛を出して回し飲みを始めたのである。1万メートルの上空で泡盛を飲んだのは後にも先にも私にはない。宿はバンコク市内シロム通りにあるナライホテルであった。

市内外のレストランでの夕食時にはみんなで同国産のビールを3本ぐらい注文しチビリチビリ飲みながら、あとはテーブルの下に隠し置いてある泡盛をコップの注いで飲んだものである。やたら水だけの注文が増えたがおおらかなタイ国のホステスは一向に気にしなかった。いや、むしろこんな人数でビールたった3本を飲んで顔が赤くなり酔う人々に、珍しい、〝隣人″もいるものだとアキレテいたのかも知れない。骨董コレクターの謝花良政さん以外は皆熱烈なジョーグーで、昼間はカマジサーでも夕方泡盛の〝顔″を見た途端ニコニコ顔に変身する面々達であった。

ホテルでは皆相部屋だった。が、一夜明けの早朝、この謝花良政さんが自分の部屋のドアー前に毛布で身を包み蹲っているのである。「どうしたんですか謝花さん」と聞いたら本部町出身のこの人、本部訛の方言で事の顛末を語り出した。自分の相部屋の泡盛メーカー社長のイビキで一睡だにしていないというのである。何しろこの社長のイビキで窓のカーテンまで揺れ動いたというのであるから穏やかではない。この高イビキは有名な酒豪、瑞穂酒造の玉那覇有祥氏であった。一滴も飲めない謝花さんにとっては大きな〝災難″だったと私はすごく同情した。昔から私は旅で相部屋する時には、先ず相手より早く飲んで先に寝ることを鉄則としている。

こんな事もあった。このホテルの2階に洋服店があって、一晩で背広を仕立てるという話が伝わった。しかも上下と替えズボン付きで日本円にして、全二萬円也というのであるからべらぼうに安い。当時のタイ国のバーツが確か日本円の20分の1だった。沖縄で仕立てると6万~8万円だったから同伴の女房に話したら折角来たんだから作ったら、という返事だったので仲間共々その店に飛び込んだ。

いよいよ明日は香港へ向け帰国の途につくので果たして明朝までに仕上がるのか不安もあった。立派にできていたので皆喜んだ。しかし、この背広には後日談がつくのである。

タイ国には湧上さんとう玉城村出身の宗教家がいらっしゃる。戦前、湧上聾人という有名な国会議員がいてその方の息子さんである。彼の地で世界救世教を広く布教している人で確か当時で10万人の信者がいるという話だった。2回目の旅でもお世話になった。タイ国は果物の豊富な国で、一夜湧上さんを表敬訪問した時には一同身に余る程の歓待を受けた。その晩、わざわざ現地の有名な料理人に頼み作らせたタイ国料理の味は今でも深く印象に残っている。その時出された果物にドリアンがあった。一種独特な臭いの強烈なこの果物を食べた後30分間は酒を飲んではいけない、と湧上さんの奥さんにいわれた事を覚えている。

しかし、我が仲間達は30分間待てずに持参の泡盛を飲んだ。しかもお寺の中であるから不謹慎極まりない話である。湧上さんご夫婦にはこの誌上をかりて深く感謝申し上げたい。ありがとうございました。

(2000年4月号つづく)

2000年3月号掲載

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