カテゴリー:コラム
-
琉球泡盛産業株式会社(崎山起松社長)が、去る7月15日で創立20周年を迎えた。同社は当時、68工場もあった泡盛業者が1工場当たり1,350株づつ持ち寄って設立された所謂(いわゆる)業者の会社である。当時は泡盛の原料も砂糖…
-
琉球酒造組合連合会の正副会長就任後初の理事会で議題となった販売面の一元化について、当局からいろいろな案が出され、検討がなされたが、切羽詰った雰囲気の中にしては、本当に一元化をしよう、或いは反対だと云うような活発な意見が見…
-
昭和15~16年(1940~1941年)の“あわもりや”のお正月といっても、ただ忙しいの一語につきた。大晦日まで商売をやり、夜中過ぎに店を閉じて、狭い店内を大掃除、未明ごろにやっと銭場に行って1年のアカを落すのが習慣のよ…
-
横文字ついでに終戦直後の愉快な話を1つ。あれはたしか1950年頃だったと記憶しているが、当時私が住んでいた村の駐在にT・Kという巡査がいた。戦前は馬車引きをしていたという、実に傑作なオッサンで、酒を飲んだときのこの人の自…
-
我々はよく旅をする。飛行機の中や、船の中、汽車の中で未知の人と知り合う。目的地が同じのとき、話に花が咲き、親しみも一層増す。人間交流の始まりだ。たまたま、それが契機となってお互いの郷里を訪問しあったりする。ある日、私もそ…
-
僕にとって酒は、明日の生活へのカンフル剤である。僕が本格的に酒を飲み初めたのは、大学1年の夏であった。あれからやがて10年の才月が流れようとしている。大学1年の夏休み、同じクラスの仲間5~6人でヒッチハイクの旅に出た。こ…
-
フツキ、フツキと草木もなびいた時代があったが、それがまともになったら、今度は反対にフツキファンという言葉にかわり、沖縄の人々は精神的に落ち着きを失っているのではないか。この激しく変わる世の中に、以前からフツキ反対の男がい…
-
序文昨年、本紙の新年号に「古今東西・酒ばなし」という駄文をモノしたら、口のまがった悪友どもから「さすがは20年のキャリアだ。その飲み代をそっくり定期にまわしていたら、今どろ貸しアパートの1軒や2軒、かるく建ってたろーにー…
-
文字といえば、最近バーでも食堂でもやたらと横文字をつかいたがる。メニューに日本語と並べて書いであるぶんにはかまわないが、それをそのまま口に出して言われるとどうにもキザに聞こえてしょうがない。例えば、ちょっとした食堂に入っ…
-
会議中のバーあれから十何年か経った。今ではお互いにみな女房、子供を持つ身である。それだけにあまり無茶も出来ないがせめて週に1度ぐらいでも、女房から文句を言われないで思いっきり美女を相手に飲んでみたいものである。ところでそ…
ページ上部へ戻る
Copyright © 泡盛新聞 All rights reserved.