酒類メーカーの歴史が知りたいと同時にレッテル(ラベル)の由来、経営者の名前等も是非紹介して欲しいと云うハガキの便りや電話での問合せ、飲み屋の酒談義でも酒類愛好家から再三に亘って注文されたが、今号からシリーズで掲載していきます。第1回目は今帰仁酒造工場と恩納酒造工場を紹介いたします。
那覇からバスに揺られて2時間、名護バスターミナルに着き、そこから今帰仁行きのバスに乗り換え約45分間でバスは今帰仁酒造工場前停留所につくが、降りるとすぐ右側が同酒造工場である。
経営者は大城トミさん、前立法院議員で故人となった大城善英さんの妻である。しかし実際には醸造から販売や、対外的な全ての面は、島袋喜三郎氏(68歳)に委ねられているのが実情である。
造り酒屋が民営に移管された1948年免許を受けて以来、今帰仁酒造は営々と泡盛をつくり、地域住民に奉仕し続けてきている訳だ。
山入端兼順と云う人が当初麹づくりをし、約7年間で新垣和雄と云う人に技術が授けられたが、この人が研究熱心で現代感覚の持主だったようで、今帰仁酒造の今日の“酒の味”はこの人から生まれてきたと云っても過言ではないようだ。
島袋さんが面倒をみるようになって18年になるが、その間幾度か苦しい時代もあったが、そんな時は全従業員が協力し合って難関を乗り切って来たと云う。
今帰仁酒造の誇りは従業員1人1人が事業主だと云う自覚をもち、みんなが老練な人で身内だけだと云うことである。ちなみに島袋さんが入って18年になるが、1番の新米であることからもうかがえる。
現在8人の従業員をかかえる今帰仁酒造は、地方の造り酒屋としては堅実な歩みを続けているが、得意先は今帰仁村一円である。
1万3,000人もいた今帰仁村の人口も今では1万人に減っており、過疎化現象は避けられない隘路(あいろ)となっているが、こう云う現象は今後益々激しさを増すだろうと云う悲観的な見方をする者と、一方では、きたる海洋博を契機にかえって北部に人口は流れてくると云う見方をする楽観組が相半ばしているのが現状のようである。
現在販売石数は55石、工場施設は60石位までの能力を持っているが、今年から施設の拡張に着手するようで、少なくとも100石までの製成はしていきたいと語っている。その計画の中にはドラム施設も含まれているが、貯蔵能力は100石あり常時50~60石の酒は貯蔵してある。
いままではいろんな銘柄の酒がここ今帰仁にも浸透してきているが、品質の工場で太刀打ちしていきたいと島袋氏は力む。今帰仁村民は気候風土と上質の豊富な水とに恵まれて人情豊かな村民と云われているが、協力心も非常に強く、“おらが村の酒”をこよなく愛しているそうだ。
「ただ頭が下がります」とさすが強気の島袋氏もしんみりと語る。以前村議も務めただけに政治にも関心があり、過去の選挙で運動したら相手側から“今帰仁酒造の酒はうまいが人がうまくない”と云われて、以来選挙にはタッテしないそうだ。げに恐ろしきは選挙なり、である。
ここで島袋氏の主張を聞いてみよう。
「泡盛業界は現在、55業者がひきしめ合い激しい競争をしているが、どだい沖縄の消費量は4万2,000石が限度であり、今後は1億の人口、つまり本土を対象にしていくべきだ。
全業者が生きていくために連合会も改革すべきで、泡盛産業と連合会の役員も兼任させるべきではない。すでに泡盛産業は5,000~6,000ドルの赤字を出している筈で、このままでは倒産も考えれるので、強力な連合会にしていくべきだと考えられるので、強力な連合会にしていくべきだと考える。
特別措置による今度の70%減税問題もまかり間違うと乱売競争にもなるので、慎重を期して貫きたい・・・。」
他にもいろいろあるが、紙面の都合上割愛させていただくことにするが、以前来島された野白先生も“万人に向くクセのない酒”だと賞賛されたそうだ。ラベルはバックが北山白で左右に稲穂、真ん中に「○大」のマークが入っている。