地酒の旅part2 恩納酒造工場(昭和47年1月30日)

  • [公開・発行日] 1972/01/30
    [ 最終更新日 ] 2016/07/10
   

1972_1_30_the-journey-of-awamori_part2_onna-syuzoujyou那覇から恩納までは、バスで約1時間の距離である。恩納村役所前で下車して北へ1号線沿いに歩いて行くと、一寸人里離れのところから左に入って行くと、くぼんだ処に恩納酒造工場はある。

故人となった玉那覇仁恵氏は戦時中、フィリピンのダバオで軍に納入する酒づくりに従事していた関係でその技術を活かし、戦後民移官と同時に免許を受け、泡盛づくりを始めているが、現在は長男の仁栄氏(52歳)が経営しており、したがって仁栄氏は2代目である。

当初、約2ヶ年間は本部部落で民家を借りて創業していたが、狭いのと立地条件にそぐわず、現在地に移り、1970年には64坪の工場増改築をし現在男4人、女3人計7人の従業員が酒づくりにはげんでいる。

年間400石~450石と量は少ないが、シェアが安定しているところは恩納酒造の強みである。それというのも、人口7,430人の恩納村民は村役所が主体となって村内企業育成と云う意識をもち、音頭をとって守っているからであり、玉那覇氏もその点を強調し感謝している。

したがって恩納村は100%泡盛“萬座”ファンであり、又、隣接町村にも伸びている。風光明媚な恩納村は、有名な歌人“ウンナナビー”を育んだ土地であり、うたの村でもある。

あの雄大でなめらかな裾をもつ恩納岳は、人によっては女性的であるとも云われているが、なるほど、こうしてじーっと眺めていると、どっしりと落ちつきはらったととろは実に賢母にも見えてくるような気がしてくる。

北には万座毛があり、怒濤岩をかむ壮観は形容しがたい景観である。恩納岳が女性ならば万座毛は男性的と云えようか。

景観や自然美に恵まれた恩納村は今や観光立村を目指して大きく伸びつつあり、公害の伴わない観光産業誘致政策に積極的な動きをみせている。加えて海洋博である。すでに恩納酒造では度数の高い泡盛が伸びつつあるのも同村を訪れる観光客の多いことを意味する。今後益々多くなる観光客用に恩納酒造では40度ものを壺容器に入れて売り出していく計画も着々進行させつつある。

北部誘致も決定した海洋博には玉那覇氏が中心となって琉球泡盛展示場や用地確保にも一大奮起して貰いたいものである。村の教育委員長としてその手腕は高く評価されており、又、歯に衣着せる発言力と行動力ではできることであり、腕の見せどころではないだろうか。

昨年は九州業界を視察したりして大いに見識も広めたことと思われるが、一度この人に業界の役員もさせてみたいものである。

 

地酒の旅シリーズ

地酒の旅part1 今帰仁酒造
地酒の旅part2 恩納酒造場
地酒の旅part3 高嶺酒造場
地酒の旅part4 漢那酒造(現、請福酒造)
地酒の旅part5 本部の石川酒造(現在はありません)

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