去る5月9日金曜日の午後3時より4時までの1時間番組、ラジオでは沖縄で最も長い「長寿番組」といわれている上原直彦さんの「民謡で今日拝なびら(ちゅううがなびら)」にゲストとして生出演させてもらった。この人はラジオのために生まれてきたような人物だと私は思っている。また此の人間は多くの人を知っていて、実にそれによく勉強を積んできている人だ、と私は思っている。ずい分昔の事であるが、私は此の人の確か当時15分番組の1週間分を録音された思い出がある。これは忘れ難い私の過去の1ぺージとして鮮明に脳裏に残っている。あれからずい分と久しぶりの再会での対談であった。
その一駒を彼の諒解を得て誌上録音してみることにする…。
上原「醸界飲料新聞は泡盛に関する情報が満載の業界紙ですが、発行して何年になりますか?」仲村「発行したのが1969年ですから、もうかれこれ40年になりますか。おかげでだいぶ借金もしましてね…」
上原「あなたのした借金であって、私は何も心配することないですけどね」(大笑い)
仲村「友(ドウシ)ヤレーカラ、マジュン心配(シワ)ルスル(友達なら一緒に心配しないといけない)」(笑い)
上原「いやいや。戦後はずっと新聞に関わってきたんですね」
仲村「西銘順治さんが戦後、沖縄ヘラルドといっ新聞を創刊して、そこに入社したことから始まって、琉球新報とか沖縄グラフ社とか渡り歩いたがみんなケンカ別れをして、路頭に迷ってしまった。『ウレー、チャースガ(これはどうしたものか…)』と、泡盛を飲みながら天に向かって叫んだんですよ。『僕は何をすればいいんだ』と。そしたら天の神様が言ったんですね。『お前ひとりぐらいは貧乏しても構わない。しかし今、琉球泡盛が大変な危機にある。売れなくて廃めていく業者が多い。沖縄の基幹産業といわれたが、ウチナンチュが飲まない。ウレー、チャースガ?君はこれを考えないといかんぞ』と。それが明け方のことで、その後知らない間に眠りについていた」(笑い)
上原「なるほど、泡盛を飲むと天の声が聞こえるわけですね。『君一人は貧乏してもいいから、業界のために頑張りなさい』と」
仲村「そう。この神様、いい神様だったのか、悪い神様だったのか…」
上原「いやいゃ、いい神様ですよ」(笑い)
仲村「振り返ってみると、生まれながらにしてなるべくものになる人間も世の中にはいるんだなと、最近は悟りを開いてきた」
上原「三十代、四十代、五十代という頃はトゥジックヮ(妻子)もいるし、男として、食わせてやらないといけない。そのバリバリの頃にーつのモノを見つけ出して、その道一筋というのは羨ましいですよ」
仲村「いゃいゃ、羨ましがるのはあんたぐらいよ。友達は皆『お前、なぜこんな金にならない仕事をしているんだ』とばかり言いますよ」(笑い)
上原「そんなときは何と言うんですか。『お前たちができないから僕がやってるんだ』と?」
仲村「まあ、いいわけみたいなんだけどね。考えてみると、ウチナンチュが英知を振り絞って考え出したのが泡盛というものなのに、ウチナンチュが飲まないでチャースガ(どうするのか)ということになるわけで」
上原「そういう意味で、仲村さんの歩みといっのは、琉球泡盛の歩みと同じなんですね」
仲村「ええ、まあ、そう言えなくもないね」
上原「酒に関する歌といっのはいっぱいあります。
心しち飲みば
薬やらやしが
あまた飲む酒や
毒どうなゆる
(酒は気をつけて飲めば薬にもなるが、度が過ぎれば毒になる)』というのがあります」
【2008年1月号掲載に続く】
2007年12月号掲載