祝儀1ドルで友の結婚式へ~泡盛で泥酔新婚夫婦の間に寝る~

   

さて、前号はあまり文章が硬すぎるとの読者からの指摘を受けたので、ここら辺で話をぐーんと落として酒飲みの失敗談を披露したい。余所さまの事を書く前に先ずは私自身を斬ってみよう。

awamori_yomoyama_story_2000_10_drunk_story_failureわが貧乏新聞社は沖縄ヘラルド新聞で創刊、沖縄朝日新聞、沖縄新聞と題字を変えてきている。沖縄新聞になった頃には城岳の南側のコンセット小屋から過日店仕舞いした沖縄山形屋の向かい入りに移っていた。

私が20代前半の青春時代であった。今から47、8年も前の「事」であるからすでに時効にはなっているであろうが、実名は伏せることにしてTM君とは小学校の同級生で共に机を並べた間柄で竹馬の友である。

その彼から結婚式の披露宴への案内状が届いた。はて、今月の給料はすでにみんな前借りして無一文。腕時計を新聞社近くにあった質屋に2ドルで入れ、1ドルを祝儀袋に入れ会場へ向かった。

場所は新聞社とは目と鼻の先にあった「清風荘」という料亭だった。すでに錚々(そうそう)たる人物たちの中にわが小学校の同級生たちの顔もあった。祝辞もなんのその、私はひたすら目の前の山海のご馳走を夢中で食べに食べた。こんなにうまいご馳走は生まれて初めてであった。

そして泡盛を飲みながら友の前途を祝福した。腹いっぱい食べ微酔した頃に、隣の同級生の1人が私の耳もとでささやいた。

「新郎が自宅まで行って2次会をやろうと言っている。同級生4、5人皆一緒だから行こう」

というのであった。私には勿論異存など更々なかった。

TM君の家は当時新栄橋通りに面した大きな商店であった。そして2階が住宅で、そこで大勢の祝い客で賑わったのであるが、いつの間にか私はすっかり酔っ払ってしまい寝てしまったのである

。前後不覚の昏睡である。翌朝早く目が醒めてみると、なんとTM君の新婚部屋ではないか。顔面真っ赤、あたふたと階段をかけ降り靴を履くや一目散にわが下宿へ走った。

これには後日談がつくのである。あれからしばらく経って、TM君と同級生2,3人と一緒に飲み屋に入った。酔いが回りはじめた頃、あの晩の「事件」についてTM君が顛末を話しはじめたのである。

「祝い客がみんな帰って?真夜中、やおらおれは新妻の顔を見て手をふれてビックリ仰天。なんとおれの可愛い新妻がヒゲ面ではないか。もう一度顔を近づけてよく見たらなんとお前ではないか。この仲村征幸め、ちくしょう」と。

私はなんと、こともあろうに新婚夫婦の間に寝てしまったのである。この実話にある宴会は唖然とし、ある者は抱腹絶倒と相成った。

しかも当日朝帰り際に、玄関まで送りに出て来たTM君のお母さんに向かって厚かましくも「だあ、ゆうびぬわあおみやげや」と言ったというのである。

穴があったら入りたい心境で赤面の至りであった。その声を2階で聞いていた新郎新婦は顔を見合わせてクスクス笑ったという。

それ以来、TM君と酒を飲む度にこの話を持ち出され、返す言葉がなかった。同じ本部町出身で謝花国民学校の同級生TM君は、頭が良くいつも全校で1,2番の成績だった。彼の寛容さには今でもアタマが下がる。

彼よりず~っとおくれて私もどうにか独身にさよならしたのであるが、カネも無かった私の結婚披露宴は間借り先の6畳1間で、ごく限られた親戚や友人しか招くことができなかった。

わが竹馬の友TM君をその座に招待したのかどうか、最早私の記憶は定かではない。50年近くにもなる遠い遠い昔日に想いを馳せる時、「わが青春に悔いあり」、である。

同じ那覇市に在っても久しく会っていないTM君、10月の声を聞く初秋に1献酌み交わそう。

2000年10月号掲載

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