過去の記事一覧

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    “酒無しデー”に泡盛飲む~明け方まで記者と共に~

    “酒無しデー”に泡盛飲む~明け方まで記者と共に~〔2001年3月号のつづき〕当間重剛さんが公職を退いて晩年沖縄赤十字社の常務をしていた頃には、ちょくちょくこの人を訪ねては、古酒談義に花を咲かせたり、人生の教えを乞うた。或…
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    泡盛業界の大恩人です~“酒仙”の行政主席、当間重剛大人~

    当間重剛という偉い人物がいた。那覇市長を経て、1956年11月11日~1959年11月10日まで琉球政府の第二代行政主席(沖縄県庁調べ)を務めた人間である。大方の沖縄人が輸入ウイスキーを飲んでいた時代にあって、独り泡盛だ…
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    偉かった漢那憲副さん~無報酬で農協建て直しへ~

    八重山石垣市字新川の請福酒造有限会社(漢那憲二社長)が去る12月2日「八重山泡盛の20世紀と21世紀を楽しむ会」と銘打って多彩な儀式を行った。私も取材で石垣市へ飛んで行った。はじめに古酒蔵のお清め式が行われ、八重山泡盛座…
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    頭髪にポマード無く豚油~50年ぶりの同級生会~

    「朝日に映ゆる嘉津宇岳恩納の峰はほのぼのと堪ふる影も名護浦の松の縁のこきところ」で始まるわが母校名護高校の校歌を実に50年ぶりに高歌放吟(こうかほうぎん)した。1950年3月に卒業して今年で50年の歳月が流れている。去る…
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    酒はサケで通れぬ伴侶~幾くかたみ飲だが今ぬえだに~

    〝憶良らはいまはまからん子泣くらん そのかの母もわを待つらんぞ″確かそのようにおぼえているのであるが…。ご存じ万葉歌人の山上憶良が詠じた歌である。遠い昔、我が名護高校の国語の教師だった下門龍栄先生に教わったのであるが、こ…
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    ゴーヤジュースで全快~飲み屋のカウンターに寝る~

    我が愛すべきA先輩の酒の上での失敗談である。小さいながら建築請負業を営んでいた先輩は酒を飲む機会が多かった。次のことは直接ご本人から聞いた実話である。今でこそ跡形もなく想像もできないであろうが、真喜比から安里に下ると高架…
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    祝儀1ドルで友の結婚式へ~泡盛で泥酔新婚夫婦の間に寝る~

    さて、前号はあまり文章が硬すぎるとの読者からの指摘を受けたので、ここら辺で話をぐーんと落として酒飲みの失敗談を披露したい。余所さまの事を書く前に先ずは私自身を斬ってみよう。わが貧乏新聞社は沖縄ヘラルド新聞で創刊、沖縄朝日…
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    水筒入り泡盛で泥酔~泡盛1杯で永山大佐殿と分れ~

    私が初めて泡盛を飲んだのが14歳だった、と前号で書いた。タバコを吸い始めたのもその頃であった。当時、アメリカ兵の一線部隊が引き揚げた跡のゴミ捨て場には、いろんな缶詰やら石けん類が埋まっていた。われら悪童仲間は鍬(くわ)で…
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    大正12年奄美で泡盛造る~大島では泡盛をセエと呼ぶ~

    醸界飲料新聞18~20号からの抜粋記事ここに明治32年~明治41年までの10年間の琉球泡盛の島内需要高記録がある。これはペンネームいしがきたすく氏が明治42年2月14日付琉球新報から引用したもので、昭和47年9月5日付小…
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    唐芋やソテツでも造ったびん詰めは識名酒造が最初

    琉球泡盛の変遷の一端を記しておきたい。 敗戦直後は多くの家庭で自家製の酒を醸していた。本部町字具志堅の新島のわが家でも造っていた。アメリカ軍のドラム缶を半分に打っ手切ったのがいわゆる〝蒸留機″だった。 原料は唐芋…
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更新情報+泡盛周辺情報

  1. 沖縄戦と泡盛バナー のコピー

    2022-8-6

    泡盛の歴史を知る上で必読の書「沖縄戦と琉球泡盛~百年古酒の誓い~」上野敏彦著(文:泡盛新聞編集長)

    今から20年以上も前の話。600年の歴史を誇る琉球泡盛に興味を持ち、観光客気分で泡盛蔵を巡り始めると…

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    泡盛検定協会(会長:古賀桃子/事務局:泡盛新聞)は、令和4年5月8日(日)より、泡盛検定3級合格に向…
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    泡盛新聞は、令和2年3月20日(金)、創刊50周年記念事業の一環として、台湾と沖縄を股にかけ活躍する…
  3. スライダー2
    沖縄には「もあい」という制度があります。 簡単に言ってしまえば、定期的に開催される飲み会のことです…
  4. スライダー
    令和元年8月24日(土)、名護市真喜屋の水田にて、地元農家の指導の元、泡盛業界関係者が泡盛原料用長粒…
  5. slider1
    平成30年10月30日(火)、久米島の久米仙(久米島町、島袋正也社長)、瑞泉酒造(那覇市、佐久本学社…



プレスリリース

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