過去の記事一覧
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さて、前号はあまり文章が硬すぎるとの読者からの指摘を受けたので、ここら辺で話をぐーんと落として酒飲みの失敗談を披露したい。余所さまの事を書く前に先ずは私自身を斬ってみよう。わが貧乏新聞社は沖縄ヘラルド新聞で創刊、沖縄朝日…
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私が初めて泡盛を飲んだのが14歳だった、と前号で書いた。タバコを吸い始めたのもその頃であった。当時、アメリカ兵の一線部隊が引き揚げた跡のゴミ捨て場には、いろんな缶詰やら石けん類が埋まっていた。われら悪童仲間は鍬(くわ)で…
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醸界飲料新聞18~20号からの抜粋記事ここに明治32年~明治41年までの10年間の琉球泡盛の島内需要高記録がある。これはペンネームいしがきたすく氏が明治42年2月14日付琉球新報から引用したもので、昭和47年9月5日付小…
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琉球泡盛の変遷の一端を記しておきたい。
敗戦直後は多くの家庭で自家製の酒を醸していた。本部町字具志堅の新島のわが家でも造っていた。アメリカ軍のドラム缶を半分に打っ手切ったのがいわゆる〝蒸留機″だった。
原料は唐芋…
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菅間誠之助という偉い人物がいた。過去形を使ったのはこの人が黄泉に旅立たれたからである。
出合いは今から29年も前だから沖縄がヤマトに復帰する2年前である。琉球泡盛の技術指導で来沖の時、那覇市の前島にあった南国ホテル…
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琉球泡盛も去る大戦では1大被害者である。首里の酒屋(造り酒屋のことを沖縄ではそう呼んでいる)などにあった酒は、大戦時の〝友軍″や防衛隊、民間人などによって〝盗み酒″されたり、アメリカーの爆撃によって壊滅している。
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私が「泡盛の元祖探究の旅」の第1歩をタイ王国に決めたのは、琉球歴史の大家・東恩納寛惇氏の著書『黎明期の海外交通史』の中の「泡盛雑考」の一文に触発されたからであった。その中で氏は小見出しで「泡盛はシャム酒なり」とあり「…
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当時のタイ国行きは那覇国際空港からパンナム航空で台北へ、キャセイ航空で香港に乗り継ぎそして日本航空でバンコクへ着くコースであった。香港を飛び立って約1時間後、高度1万メートル、時速950kmの機内アナウンスが流れた。…
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沖縄県泡盛同好会が提案し実現した「泡盛の元祖探究の旅」の第1回タイ国訪問の旅は、昭和53年5月10日~14日までの4泊5日の日程で実現した。一行20人の中には泡盛メーカー、マスコミ、製造技術者、流通と多士済済だった。…
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泡盛愛飲者にはすでにご存じでありましょうが、今から30年前の1969年に東恩納寛惇博学者の『黎明期の海外交通史』が再版されている。その中に「泡盛雑考」という項がある。泡盛という名稱(めいしょう)について同氏は「『アワ…
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2022-8-6
今から20年以上も前の話。600年の歴史を誇る琉球泡盛に興味を持ち、観光客気分で泡盛蔵を巡り始めると…
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泡盛検定協会(会長:古賀桃子/事務局:泡盛新聞)は、令和4年5月8日(日)より、泡盛検定3級合格に向…
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泡盛新聞は、令和2年3月20日(金)、創刊50周年記念事業の一環として、台湾と沖縄を股にかけ活躍する…
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沖縄には「もあい」という制度があります。
簡単に言ってしまえば、定期的に開催される飲み会のことです…
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令和元年8月24日(土)、名護市真喜屋の水田にて、地元農家の指導の元、泡盛業界関係者が泡盛原料用長粒…
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平成30年10月30日(火)、久米島の久米仙(久米島町、島袋正也社長)、瑞泉酒造(那覇市、佐久本学社…
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