こんな面白い話がある。
今から28年前の昭和51(1976)年3月5日に八重山泡盛同好会は発足している。その発足に向けて準備委員側と泡盛メーカ側との交渉が順調に進まなかった。
困り果てた会長候補者の新垣信行さんから電話が入った。知恵を借りたいので大至急八重山に来て欲しい、というのである。
勿論自腹で飛んで行ったのであるが、話を聞いて呆れ返ってしまった。メーカー側の言い分は酒の提供は心良く引き受けるが、そのかわり出品するびんのラベルは見えないように白紙で覆って出したい、と言っているというのである。
しかし2社は堂々とラベルそのままで一向にかまわないからどうぞと言ってきていて、その中の1社の社長などは特に、若し他がラベルそのままで出すのはいやだというのであれば私が泡盛は全部提供してもいいですよ、と大胆でかつ積極的なメーカーもいるという。
その、ラベルを覆うという理由は会場内で消費者たちが人気の高い泡盛だけ飲んで、私達の酒が残されたら恥をかく、というのである。
そこで仲村さんの意見を聞かせて欲しい、ときたものだから「ハーサ イェーシンコウヤッチー エーマーウクリトーンドウサイ、ラベルというのはどんな酒でもその商品の〝顔″ですよー、それに頬かぶりをさせて出すということは第一われわれ消費者に対して失礼ではないですか。
そんな自分が愛情を込めて造った泡盛に自ら自身がなければ出品をお願いすることはない。正々堂々しかも全部酒は出してもいいというメーカーの泡盛で今回は先ず出発してみてはどうですか。
しかし酒は嗜好品であり、100人は100人みな同じ酒を飲んでいるのではない。或る人がA酒が1番うまいと言えば或る人はB酒には遠く及ばないという。
その証拠に八重山群馬に現在ある10場は各々規模も酒質も数量の差もあるが、皆なりわいは立っているじゃないですか。
縦(よし)んば会場内で自分が造った酒がふり向きもされなかったら、それはその蔵人が反省し努力をしていくのが筋でありましょう。そこがわれわれ泡盛同好会の使命ではないですか信行ヤッチーサイ」
一気にまくし立てて「あとは皆さんのご判断でしょう」で私はだまった。
28年前の発足会場は琉球銀行八重山支店の2階ホールで200人余が参加して華々しく船出した。
取材で開会少し前に会場で新垣信行さんはニコニコ顔で私に語りかけてきた。
「せまい地域のエーマだけに、仲村さんの大胆な提案は是としながらも1、2のメーカーだけでやるのには役員みんなの総意でなく、長い目で見ていて欲しい」
しかし、政争の激しい八重山で同好会を発足させ得たのはこの人の信望に負う所大であった。
結局当日テーブルに並べられた600MLの泡盛は寂しいかな皆頬かぶりをさせられていた。
その1本が現在糸満市にある合資会社比嘉酒造のゲストハウス2階のガラス棚に鎮座している。
当日の会場から持ち帰ってきたのは泡盛コレクターの座間味宗徳沖縄県泡盛同好会副会長である。
〔2003年5月号に続く〕。
2003年4月号掲載