泡盛の元祖?探求の旅で ~ラオ・ロンとラオ・カオ解る~

   

沖縄県泡盛同好会が提案し実現した「泡盛の元祖探究の旅」の第1回タイ国訪問の旅は、昭和53年5月10日~14日までの4泊5日の日程で実現した。一行20人の中には泡盛メーカー、マスコミ、製造技術者、流通と多士済済だった。昔この国は初めてであっ2000_2_awamoriyomoyama_thai_rancaoたが、その中で1人だけ幾度も訪問している人がいた。

謝花良政さんという方で骨董コレクターであった。われわれが一生懸命泡盛のルーツを探究中に、この人は1人タイの南蛮壷10本にクースを貯えているではないか。20年以上も前からクースづくりに最適だといわれているタイ国の素焼き壷を収集していたのである。

さて、私達の目的であるラオ・ロン或るいはラオ・カオ工場見学であるが、バンコク市内から西へ50キロ、バスで約1時間30分の所、ナコムパトム、ナコムチャイシーという田舎部落にある工場を訪れた。タイ国には30の焼酎工場があり(当時)そのひとつがこの工場であった。

この工場入口の左側の小高い所にデンと座しているタンクは廃糖蜜が入っているであろう、と私は直感した。果たしてバスを降りて工場に入る前から砂糖の臭いがプーンと鼻をついた。タイ国は米の輸出では世界1~2位を争う大国である。なのに現実は米を原料にした酒は造っていないのである。

この工場の技術主任プラチャオさん(57歳・当時)の説明によると、「米の酒は造っても売れないので砂糖だけの酒を造っている」というのであった。一行が香港に出発するその日、米の酒を造るので是非明日見に来てくれと言っていたプさんは非常に残念がっていた。

タンモン・クヮチャリン工場長(57歳・当時)によると、この工場は300年~400年になる歴史のある工場で、昔は造った酒は壷に貯えたが現在は1000リットル入のチーク材の樽に6か月間貯蔵後にびん詰め販売している、と説明していた。「ラオ・ロン」とは酒工場の意味で、「ラオ・カオ」とは米の酒という意味だという。

ラオ・カオは若者から敬遠され田舎の農民や乏しい人々が1日の疲れ癒しに飲む程度で、都市地区ではウイスキーやビールが好まれているという。ラオ・カオ党はせいぜいマカーンの木の実に塩をふりかけてそれを肴に飲むという。マカーンとは「王宮」の意味だそうで王宮の広い庭でよく見かけるものである。

いよいよ明日はバンコクを離れるという夕暮れに街に出てラオ・カオを探し歩いた。ちょっとしたスージグヮー(露地)に入って行ったらラオ・カオを売っている小さな店があった。皆2本づつ買い求めたのであるが、その帰り道端でバーキ(ざる)にマカーンの実をそう多くない程入れて売っているオバーがいた。

古い新聞紙を折り曲げて作った袋に入ったマカーンの実を買い、塩をふってその晩ひとりでそれを噛みながらラオ・カオをしみじみと飲んだ。 あれから20年余が過ぎた。
バスの窓越しに物売りに必死だったタイの子供達、街角にしゃがみ込んで僅かばかりの品物を売っていた、ウチナーのヲバーにそっくりな人なつこいヲバー達、そしてタイ国の地酒ラオ・カオは今、どんな変貌をしているであろうか。

(2000年3月号につづく)

2000年2月号掲載  

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