黒真珠の養殖、川平公園と云う自然の名所の多い八重山石垣市の川平部落はあまりにも自然に恵まれすぎている。石垣からバスで約45分(バス賃21仙)のところにある川平部落は木々の合間に静かに点在している。そう云った自然環境の中に高嶺酒造所(高嶺英三代表者・当時54歳)はある。
※仙:セント
酒造業は英三氏が一代目だが、氏の持論は「酒はまず第一に水であり、からい水でつくると喉越しがからく、甘い水でつくると喉越しがよい。又、オール手麹で地釜を使用した方がよい。あくまでも昔の製造方法がよいと感がている。泡盛は“水と人の精神”でつくるべきものである。私は各工場を見てきているが、私の酒より質が落ちる。私の酒の特徴は“甘み”である。」と述べる英三氏の自信に満ちた理論はたのもしい限りである。
更に「あくまでも独自で開発し、つくりだしていくのが私の考え方であり、今後も現方法でいき、指導は必要ない。すでに味も認められており、販路の見通しも明るいので、今年中には能力を5倍アップしていく計画を立てているが。拡張資金も蓄えがあるので問題ない。高嶺酒造場のレッテルは“米酒”だが、その由来は泡盛は今でも粟でもつくれるものだが、もともと米でつくっているから“米酒”と名付けたものだ。」とも付け加えた。
現在、長男の善都君が工程一切を引き継ぎ酒造り一筋に邁進しているが、若いのに非常に仕事熱心な成年である。英三氏夫婦はこの善都君を語る時、目を細めるが、それは引き継いだ安堵感からであろう。
二男は公認会計士、三男が学校教員、四男が琉大商科に在学中、長女が高校在学中と子宝にも恵まれた英三氏は自らも又、大の泡盛愛飲者でもある。
たまに珍客が来ると昼でも、自分のつくった泡盛“米酒”を酌み交わす。まれにみる人情家でもある。川平公民館、崎枝公民館の建設には物心両面からの援助を惜しまず、献身的な協力をしている英三氏は石垣市義、石垣市北部地区連合会副会長経験し、現在は八重山酒造組合の副会長をつとめている。
確かに高嶺酒造場は昔ながらのつくり酒屋である。恐らく与那国の一部とここだけではなかろうか。“手造りの地酒“高嶺酒造工場の現在の月販売は約15石と数量からみると非常に僅かだが、地味で確たる氏の気骨と探究心をもって進めば、今後石垣市内にも大きく伸びる可能性は十分に考えられることだ。
その昔、琉球王からも特に川平の泡盛は喜ばれていたと云うが、手造りの酒“米酒”は復帰以後その真価は問われてこよう。
ともあれ、独り我が道を歩み続ける高嶺酒造場は独特な存在であり、古い良さと新しい感覚の持主、英三氏はまだまだ健在だし、3~4年先が楽しみと云えよう。