泡盛の移出数量伸びる~だが業界には課題山積~

   

球大学農芸化学科の教授だった宮里興信先生(故人)は琉球泡盛の製造技術に多大な貢献をされた方であった。awamori_yomoyama_60_miyazato-koushin_awmaori-history一方で琉球王府時代の紅こうじ研究にも情熱を注いでいたが、志半ばでこの世を去ってしまった。実に心おだやかなクリスチャンで静かなお人であった。

生前、小紙が発行した「泡盛のラベル一覧」の中に「琉球酒(泡盛)の系譜」を心よくお書きになって下さった。その中から一部抜粋して紹介してみたい。

「推古8年・この頃より按司あらわれる。“隋書琉球国伝”に米麦を醸して酒をつくる、その味甚だ薄しとある=口噛みの酒」
「1372年、明朝と通交・南方貿易始まる」
「1389年、シャムと通交開始・蒸留器カブト釜導入=推定・中国型焼酎」
「1456年、那覇港内に酒庫設置」
「1515年、島津(薩摩藩)へ琉球焼酎、唐酒、南蛮酒献上」
「1569年、シャム(現タイ国)との貿易衰退」
「1662年、羽地朝秀による節酒令(酒貯蔵、クース=古酒の始まり」→「日本型焼酎、この頃日本の製麹法導入、王府による酒造管理(推定・黒こうじ)この頃より現在のような泡盛造り始まる」
「1671年(寛文11年)、将軍家への献上品目録中に泡盛と記載す」
「1704年甘藷、琉球から薩摩に渡る(宝永1年)」
「1872年(明治5年)、琉球藩となる」
「1879年(明治12年)、廃藩置県により沖縄県となる」
「1937年(昭和12年)頃、ロ噛み酒、波照間島などには僅かに残っていた」。

これ等は富里興信先生が1981年3月20日に小紙へ原稿を渡された日である。

さて、この泡盛、沖縄県酒造組合連合会の最新資料によると平成14年度の製成数量が25,043キロリットル(139,127石) で前年比8.1%増。県内の移出数量(販売高)が19,168キロリットル(106,489石)前年比2.2%増。県外移出が3,165キロリットル(17,583石)前年比27.8%増となっている。移出合計で22,333キロリットル(124,072石)となっていて、前年比5.2%の増。注目すべきは県外で30%増に達しつつあることだ。平成元年の県外シェアーが3.5%に過ぎなかったのが平成14年度では14.2%と約五倍の伸びを示している。

平成元年の製成数量15,055キロリットル(83,639石)、県内移出数量11,594キロリットル
(64,411石)県外425キロリットル(2,361石)、合計で12,019キロリットル(66,772石)と14年間で約二倍に飛躍している。

平成元年と14年を見ると、製成高で66.3%の増、県内移出で65.3%増、県外移出では実に644.7%の増となっている。全くご同慶の至りである。この推移は今後更に加速していく、と私は見ている。

しかし、課題は多い。「供給態勢の確立」を先ず挙げたい。今一番に急がなければならないのは貯蔵施設の拡充強化であると私は考えている。蒸留年月をしっかりとボトルに表示することや、クースの価格帯の乱れの整理も急がなければならない問題である。

公正競争規約の見直しもやるべきである。更に内外消費者の嗜好の多様化に対応すべく、今後昔のような無濾過泡盛の貯蔵熟成酒にも本格的に力を入れるべき時であろう。荒い新酒は飲めたものではない。しかし、長い年月を経た酒の味の重厚さには風俗がある。

クースをほどよくブレンドした現在の市飯酒は飲み易くてうまいがらこそよく売れていることは百も承知している。しかし一方で「飲めない泡盛」も造って欲しい、と私は提案したい。これがいつまでも飲めない酒ではあり得ないと思う。ま、酒飲みの意地きたなさといえばそれまでだが、いや、人様の十倍も泡盛を愛すればこその話である。

2004年1月号掲載

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