ばあは口噛酒を造った~新垣カナさん(90歳)~(昭和55年2月26日)

  • [公開・発行日] 1980/02/26
    [ 最終更新日 ] 2018/02/14
   

『八月二十一日に、伊平屋島に遊んだ時、字我喜屋の部落で島の人達から「オミキ」の造り方に関して聞いた話は次のような興味あるものである。

1980_2-26_awamori-kuchi-kami-sake_sake-made-from-rice-or-other-cereal-which-is-chewed-before-fermentation_arakaki-kana01伊平屋地方では、毎年行われる「ウンヂャミ(海神)祭り」及び「シヌグ(?)祭り」等に使う酒は、字中から選ばれた美人が、生米を幾度か口中でかんで掃き出したものを、発酵させて造るが、出来上がるまでに二、三日はかかる。勿論処女たちの口中は今日では歯ブラシできれいに磨き不潔な感じはしない。云々。』これは山里永吉氏発行月間琉球二十号(昭和13年1月号)に掲載されている八幡一郎氏の「酒の起源に関する伝承」(原文のまま)の一部である。記者は昨年の暮れ伊平屋島にわたり、その昔、美人で処女で実際に口で米をかんでオミキを造ったという生き証人に会うことができた。

伊平屋島字我喜屋に住む新垣カナばあさん(九十才)その人である。以下はカナばあが語るオミキ造りの体験談である。

口噛酒造りは処女で美人が

まず、七、八人の美女で処女達が、歯ブラシのない当時だから塩で口中がただれる位い何度も洗い清めてから午後三時ごろから噛み始めてうす暗くなる頃までかかった。一人で三合~三合五勺の米をかんでいた。噛んだ米はワンボウ(=ハガマグヮ=器)に貯める。

そして、これとは別に、二~三時間位い浸米して置いたものを砕いて粉にし、水を入れ火で炊きそれに口噛の米を混ぜ、一斗入りの木樽に入れ水を加えて晩六時頃から翌日午後五時ごろまでの約二十三時間位い置く。

米を噛む時は、まず神殿にその米を捧げてから始めた。七~八人の美女達で噛んだというのは一部落分ののもである。

我喜屋部落ではこれを「ミサフ」という。ばあは十六才から二十才まで行事の度毎に噛んだというが、噛んだ翌日はあごが痛くて口もきけず、食事もできなかったという。手間賃もなく、ただ黙々と噛み続けたのだという。

ばあの記憶によるとこれは田名、我喜屋、島尻、野甫の四部落にあったということだ。

祭事の度毎に造った口噛酒

この「ミサフ」を用いたのは、旧暦の五月、六月のウマチー(祭事)八月十日のウイミ、七月十七日のシヌグ、同一六日のウンジャミ、チガドイ、ナークチ、九月のナーダニ(今度のメーガナシー=お米は粒もよく豊作でした来年もどうお豊作でありますようにと神に祈る祭事)、九月のタントイ(苗床を作る季節の祭事=これにはムルンチュミサフを使用)などが用いられたそうだが、ナーダニとタントイには各家庭でも造られていたようだ。

ムルンチュは、ご飯を炊いてそれにこうじを入れ水を加え、寝かせる時間は前者よりやや早かったようだ。

原料の比率はこうじ二~三合に対しての米約三升だったという。

ムルンミサフは黄色だった

色は真白く、ムルンミサフは黄色っぽい色をなしていて、味は、とたずねたらとてもおいしかったヨ、とばあは目を細めていた。

ばあは一昨年村内にいる六名の長寿者と一緒にトウカチ(米寿)の祝いをした。

カナばあさんは村の評判者

目鼻立ちもよく、往時を忍ばせるに十分で青春時代はきっと村一番のべっぴんさんであったに違いない。

耳も足腰もしっかしているばあはかくしゃくとしており、面倒見の良さでも村内の評判者である。

(この取材では伊平屋酒造の保久村昌弘さんご夫婦に大変お世話になりました)
1980_2-26_awamori-kuchi-kami-sake_sake-made-from-rice-or-other-cereal-which-is-chewed-before-fermentation_arakaki-kana02(醸界飲料新聞第54・55合併号)

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