泡盛愛飲者にはすでにご存じでありましょうが、今から30年前の1969年に東恩納寛惇博学者の『黎明期の海外交通史』が再版されている。その中に「泡盛雑考」という項がある。泡盛という名稱(めいしょう)について同氏は「『アワモリとは琉球から出る焼酒で原料は米である。と第一に断わって置かねばならぬ位、誰でもがその名に囚われて、『アワモリ』を栗酒と早合點している。それほどこの名は實は曖昧なのである。
『アワモリ』と云う名も本場の琉球ではあまり使われていない。土地では單に『サキ』と呼んでいるがこれは勿論『サケ』の方音である。八重山には『アームリ』と云う名があるがそれはむしろ近世の移入語であると思われる」。
そして同氏は「八重山の新垣氏の通信によると、酒精度数計を使用しない前は、泡の細かさと保ちとによって、強弱を測定したもので、その方法は『モロミ』を蒸餾して落ちて来る酒滴を瓶に受け、それを1尺45寸程の高さから茶碗に注ぐと微細な泡が盛り上がったもので、酒が強ければ強いほど泡の粒も細かく保つ時間も長い、かう云ふ方法で検定する操作を『泡を盛らせて見る』と云ふ話である」と記している。
泡盛の名稱の由来については諸説あるが、未だに確たる証しは見い出してはいないのが現状である。私は今から15年前にこの文献に基づいて実験してみた。那覇市字小禄にある宮里酒造所の工場で宮里武秀代表者の協力を経て2人で検証した。あの時は30度、40度、45度で実験し最後には水も垂らしてみたが、はっきりと泡の粒が見分けられたのは水だけで、大きな泡が出て来てすぐに消えたのを憶えている。 去る10月8日に再び宮里酒造所の全面協力を得て同工場内で実施してみた。
ま、酒飲みの一種の〝遊び″である。しかし今回は沖縄県工業試験場の前食品室長だった照屋比呂子さんにお願いして立ち合ってもらった。照屋さんといえばその道の専門家で、毎年実施されている泡盛鑑評会の酒質審査委員である。
約45センチの高さから30度、43度、50度を検証したのであるが、30度は泡がすぐに消え、43度は泡がやや細かく少し長もちした。約50度のは泡が完全に消えるまで2分56秒保った。しかも泡の粒が細かかったのである。これは濾過なしの酒であった。泡盛メーカーの長老達の話によると昔(去る大戦中まで)は濾過はしてなかった、ということである。つまりこれは中身が濃いからではなかろうか。
しかし、この由来説を解き明かすのは容易なことではない。私は宮里酒造所の宮里代表者と照屋さん共々に第3回目の検証を年明けに行うことにしている。私達は過去に3回シャム(現タイ国)を訪ねている。これは「泡盛の元祖探究の旅」だった。泡盛の製造技術がシャムより伝来したという通説を検証することにあった。
タイ国のラオ・カオやラオ・ロンという地酒はその風味に於て琉球泡盛に近いことは確認できた。が、似て非なるところがある。琉球泡盛は歴史が古いだけにその製法の来歴や名稱の由来等未だまだ研究分野は多い。だからこそ面白くて今夜もまた酒友と大いに議論をくり返しているのである。
2000年1月号掲載