敗戦直後の1946~7年頃の話であるから半世紀以上前の、随分と昔の事である。 その頃筆者の1番上の兄は田井等高等学校(現名護高校)本部分校の英語の教師だった。或る夏の日曜日、兄の先輩格の文学教師が訪ねて来た。同じ本部町出身者同士であった。
早速アメリカ水筒入のタリジャキ(自家製酒のンムジャキ)をグイグイ飲みながら口角泡を飛ばし談論風発。そのうち20代の若い数学教師は酩酊して1人フラフラと隣の家へ行ってしまった。そこにはあの悲惨な戦争で命拾いをしたヲバーが1人で留守番をしていた。2人は全く見ず知らずの間であったが、何やら大きな声で話し合っているのが手に取るように聞こえた。
しばらくしてそれが聞こえなくなった。少年心で隣家を覗くとN教師は縁側に大の字で寝ていた。 それから1時間は経ったであろうか。件の教師がケロッと素面で頭をかきかき帰って来たのである。真っ昼間の事であるから場都の悪い思いをしたのであろう。
後日聞いた話であるが、その時ヲバーはいささかも驚かず怯えず、わが孫を諭すように相手をしながら徐にドンブリに味噌を濃ゆめに溶かして飲ませたという。これが酔人の特効薬となったのであろう。
筆者は今でも味噌の効用は重宝しているが、沖縄の格言に「とぅしぬくうや かーみぬくう」というのがある。長く深い経験を積み重ねてきた年配者は得難い存在である。
宮古島出身の筆者の酒友によれば、昔宮古では泥酔者は担いで大豆畑に放ったという。そして置いたら酔いは覚めたというのだ。今でこそ味噌は米や麦などでも造っているが、昔は大豆が主であった。筆者は医学者でも科学者でもないので、それの成分については全く知る由はない。
が、何故であろうか。サキジョーグー、おっと失礼、愛酒家には味噌汁とユシドウフー好きが多い。尚順男爵によれば昔、毎日昼のべんとうは豆腐だけの人間も居たという。こういい人のことをトーファーと稱(しょう)したそうだ。 明治、大正、昭和初期の頃に流行った狂歌に、〝死ねばあわれとんぶし豚豆腐かててぬ酒ジョウグー″とある。トーフチャンプルーは定番だが、梅味噌やアンダンスー(油味噌)などは昔の料亭では出していたが今では殆どの料飲店でも見かけない。
アルコールと大豆のエキスの因果関係は知らずとも愛酒家にとっては5臓6腑に活力を与えてくれるのは先ず間違いのないことだろう。
※タリジャキ:自家用酒、今でいう密造酒
1999年9月号掲載