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今から14年前の19934年9月3日付第24号の本紙醸界飲料新聞に面白い記事が載っている。「創刊25周年記念“泡盛は宣伝が足りない”」という横見出しで4人の御方々の座談会がある。その模様を今号から紹介してみたい。出席者は…
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この推移から見ると、琉球泡盛は総移出数量で約10パーセントの減となっている。これについて又吉良秀県酒造組合連合会専務は次のように語っている。又吉良秀 「平成17年から県外で約10パーセント減っていますが、例の焼酎ブームも…
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今一度酒飲みの失敗談を書いてみたい。宮古の桟橋通りに「中山」という居酒屋がある。そこで菊之露酒屋の若い杜氏3人と泡盛を飲んだ。そして酔った。午後8時出港の琉球海運の船に乗るべく船へ急いだ。船へ行く途中の港内は真っ暗やみ。…
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「昭和13年6月15日、泡盛をぶら下げて遠く今帰仁村字謝名へ嫁をもらいに行った」・・・。これは人生波乱万丈に富んだ渡口彦一おやじが73歳のお祝いに『万年筆と共に歩んだ50年』という自叙伝の中に記した一文である。当日は三重…
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酒飲みの失敗談は誰しもひとつやふたつ位いはあるものである。昔の話。私には数えきれないほどあるが、この号あたりではそれの幾つかを紹介して赤恥をかきたい。沖縄県泡盛同好会の副会長だった座間味宗徳さんと八重山へ取材に行った時、…
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こんな小さな島ではあるが、与那国島で太平洋と東支那海では波は静かな所と荒い所に分かれていて、太平洋側は荒々しい。反面、東支那海側はそれこそ穏やかである。小さな島とはいえトゥングダー(田んぼ)、クブラバリ、それに最近脚光を…
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【2006年1月号の続き】宿を「入福旅館」に定め夕飯をすませ、近くのスーパーから3合瓶詰めを買って小高い丘に登って独り夏の夜空に輝く星空を見ながらラッパ飲みを楽しんだ。水を忘れての泡盛は喉に泌みた。宮良高夫・宮良長方の名…
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戦前戦後を通じて初めて琉球泡盛をラジオで宣伝したのは瑞穂酒造である。勿論テレビもそうだが、テレビは瑞泉酒造が最初であった。“歌や首里節(すいぶし)、酒や瑞穂酒(みずふじやき)、昔(ん)から今(なま)に定(さだ)みやゆぎ”…
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【2005年12月号の続き】先ず順序としては本島北部の宜名間酒造所からいくべきであるが、「よもやま話」だからあちこち話は飛んでいく。日本国産のYS11が就航間もない頃だから今から38年も前の事になろうか。貧乏のドン底に喘…
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【2005年10月号の続き】私も琉球古典を少しは出来るので、那覇から水牛の角で作ったバチを持参して来ていたので、カメラバッグからそれを取り出して2~3曲弾きながら彼等の面白おかしい話につられてグイグイ。そのうちカチャーシ…
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