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今回はウヰスキー業者を訪れてみることにした。とは言っても、ここ合資会社諸見里酒造工場(社長諸見里勇氏)の場合は乙類免許(泡盛造りの免許)で発足したメーカーである。1949年1月、具志川村現具志川市字喜屋武に父藩戸氏(19…
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昭和15~16年の京都の泡盛屋は、概して、つの型があったが、これも大阪に本店をもつ大阪流の店構えで、今で云えばインテリアデザインといえないこともない。いかにも泡盛屋らしい店構えであった。巾二間半ぐらいのあまり広くない店、…
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これらの県内産品のほとんどは原材料をヨーロツパや本土からの輸入にたよって行われており、また島内の生産企業の乱立などもあって相当に複雑な問題もあろう。
現在沖縄の醸造工場は、泡盛、ウイスキー、ビール、ラム酒などの生産…
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日本酒「黎明」が日本万博に出品される。しかも全国4,000件のメーカーの中の45社の中に入っている。日本酒と云えば本場、灘を始め伏見、北陸中部、東北、中国、四国、九州と日本全国至る処がまあ本場みたいなところであるが、年中…
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京の夕暮れ、下(しも)の労働者が疲れ果てた肉体をひきするように、のれんをかきわけ、一杯の泡盛をひつかけ、わいせつな話しを投げ交して再び家路にいそぐ姿が七条の界隈で見られた。昭和11年頃の話。七条通りには、少なくとも西大路…
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長く、きびしかった夏も漸く峠を越した感じであるが、まだ、残暑は当分続きそうである。中秋の名月からは大分涼しいミーニシも吹くことだろう。そこで、観月会であるが、ちまたではもう月なんてのは古い、あれの中にはアメリカの足跡が残…
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出版協会事務局長 小波津 建 よく日本人ほど嬉しいにつけ、悲しいにつけ酒を飲む人種はいないという。社用の接待から、友人同志の付き合いまで万事につきものである。 昔から、人間無くて七癖といわれ、とくに酒を飲んで豹変する人は…
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琉球酒造組合連合会事務局長の島野功氏が去る1969年7月31日付で辞職した。 島野氏は酒連創立以来の功労者で酒連の生学引きと云われていただけに氏を惜しむ声が多い。 地元美里村で商売をしており自分の商いが忙しいためだと…
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来たる1970年万博にわが沖縄伝統の「琉球泡盛」が出品することは泡盛が桧舞台に登場し、本土をはじめ世界へ認識されるまたとない機会であり、まことに喜ばしいことであります。 泡盛は戦前戦後を通じ、沖縄の銘酒として他府県へ…
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沖縄の各業界は、着実に近づいて来る本土復帰という、嵐を前にしてその対策が迫られている。 既にある企業では復帰体制づくりとしてこれまでの企業規模を守るだけでなく、むしろ拡大し、本土市場に進出しようという毅然たる企業の姿…
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