過去の記事一覧
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敗戦後のわが沖縄に外から最初に入ってきたビールは確かキリンだった。清酒は月桂冠でウイスキーはVOだったと憶えている。勿論あの頃にはわがオリオンビールは未だ誕生していなかった。清涼飲料では断然コカコーラが真ッ先であった。泰…
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小紙第7号(創刊1周年記念号)に実に面白い座談会の記事が載っている。出席者は石川逢篤さん(元泡盛メーカーで戦後は琉球火災海上保険(株)社長)、佐久本政良さん(咲元酒造前社長)、花城清用さん(戦前の琉球新報記者で戦後は沖縄…
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S氏の玉稿昨年の11月、所用あって懐かしの沖縄を訪れた。海は相変わらずキレイであり、街なかの風情も昔のままに見えた。加えて、かつての同僚・知己の面々の私に対する友情の温かさには頭の下がる思いで、沖縄に勤務した、かの日のこ…
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【2004年9月号の続き】つい今さきまで、わが沖縄の名酒、琉球泡盛を審査していた酒類製造の技術を指導している、味覚に長けた先生方が目の前に居たのであった。沖縄が日本国に復帰した年に始まった泡盛鑑評会は、こういう専門家達に…
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琉球泡盛が売れない時代、つまり沖縄県民から“ 臭い”、“カライ”と嫌がられていた時代のことであるから、ふた昔以上も前の話である。その“ 臭い”の一因は、当時は冷温設備が施されていなかった、倉庫に積まれた原料米臭とも言われ…
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前号でこの号では菊之露酒造と下地潔前社長(故人)について書きます、と予告したが、次号で触れることにしたい。今、わが琉球泡盛がすこぶる好調に推移しつつある現況について書くことにする。特に県外での伸びが大きく目を引く。平成1…
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去る6月1日、久しぶりに宮古島へ取材に出かけた。夕方の西里通りの商店街を通り、懐かしい思い出にふけりながら裁判所前の通りに出て、ふと足を止めた。左側の道路ぞいにある小さな居酒屋のメニューにこうあるのを見たからである。「泡…
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【2004年5月号のつづき】「山原島酒之会」発行の島酒通信第17号掲載の記事よりの引用である。見出しは“泡盛は元気だー”となっている。「・・・ところで昨年の12月、銀行から300万円の定期預金満期の通知が届いた。その預金…
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「山原(やんばる)島酒之会」なるグループがある。名護市を中心に北部全域に会員が居るが、このグループ実に壮大な理念に燃えていて、北部の全家庭の床の間に一斗壺に43度の泡盛を詰めてクース(長期間貯蔵熟成泡盛酒)づくりをしよう…
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私が生まれ育った本部町字具志堅では、水瓶(甕)のことををパンルーヤーという。パンルーヤーといえば水がめ小屋のことで、殆んどの農家の台所のすぐ横にあった。なにやら中国語みたいな響きのある言葉だがその出所は私は知らない。電気…
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2022-8-6
今から20年以上も前の話。600年の歴史を誇る琉球泡盛に興味を持ち、観光客気分で泡盛蔵を巡り始めると…
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泡盛検定協会(会長:古賀桃子/事務局:泡盛新聞)は、令和4年5月8日(日)より、泡盛検定3級合格に向…
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泡盛新聞は、令和2年3月20日(金)、創刊50周年記念事業の一環として、台湾と沖縄を股にかけ活躍する…
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沖縄には「もあい」という制度があります。
簡単に言ってしまえば、定期的に開催される飲み会のことです…
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令和元年8月24日(土)、名護市真喜屋の水田にて、地元農家の指導の元、泡盛業界関係者が泡盛原料用長粒…
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平成30年10月30日(火)、久米島の久米仙(久米島町、島袋正也社長)、瑞泉酒造(那覇市、佐久本学社…
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