過去の記事一覧
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【2006年1月号の続き】宿を「入福旅館」に定め夕飯をすませ、近くのスーパーから3合瓶詰めを買って小高い丘に登って独り夏の夜空に輝く星空を見ながらラッパ飲みを楽しんだ。水を忘れての泡盛は喉に泌みた。宮良高夫・宮良長方の名…
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戦前戦後を通じて初めて琉球泡盛をラジオで宣伝したのは瑞穂酒造である。勿論テレビもそうだが、テレビは瑞泉酒造が最初であった。“歌や首里節(すいぶし)、酒や瑞穂酒(みずふじやき)、昔(ん)から今(なま)に定(さだ)みやゆぎ”…
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【2005年12月号の続き】先ず順序としては本島北部の宜名間酒造所からいくべきであるが、「よもやま話」だからあちこち話は飛んでいく。日本国産のYS11が就航間もない頃だから今から38年も前の事になろうか。貧乏のドン底に喘…
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【2005年10月号の続き】私も琉球古典を少しは出来るので、那覇から水牛の角で作ったバチを持参して来ていたので、カメラバッグからそれを取り出して2~3曲弾きながら彼等の面白おかしい話につられてグイグイ。そのうちカチャーシ…
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【2005年9月号の続き】初めて国頭村の安波部落を訪ねたのは、今から34年も前のことであった。きっかけは「泡盛まさひろ」こと合資会社比嘉酒造(現まさひろ酒造株式会社)の比嘉昌広社長(故人)と同社長室での雑談であった。安波…
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沖縄がのどかで、人々がのびのびと生活を営んでいた時代、勿論軍靴の音も聞こえない戦前の古き良き時代の話・・・。瑞穂酒造の先々代社長、玉那覇有義さん(故人)から生前聞いた話によると、その頃のバサムチヤー(馬車引き)が現在の泡…
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神奈川の「泡盛文化の会」の仕掛け人、掛田勝朗さんからその発足当初から一度はぜひ横浜に来て泡感講話をして欲しい、との要望があった。ハイ、行くようにします、とその都度返事をしていたが、私は船での旅は楽しいがヒコーキでのそれは…
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しつこいようだが、今回もまたクース談義をしてみたい。或る国産ウイスキーメーカーが以前週刊誌でこう述べていた。「ウイスキーは樽からびん詰めにすると熟成は止まる」というのである。つまり、びんの中ではもはや熟成はしないというこ…
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ここに紹介するのはクースジャキの極付である。昭和48年6月1日付の小紙第25号に「この酒、100歳です」の見出しで100年クース記事が載っている。トップリードに曰く「遠く琉球王朝時代から珍重されてきた琉球泡盛も何百年もの…
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【2005年3月号の続き】 松山王子尚順遺稿から男爵の古酒づくりの話をしてみたい。松山王子尚順遺稿 その1 「私が古酒を作り初めた動機と其法を話す事にしよう。私…
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2022-8-6
今から20年以上も前の話。600年の歴史を誇る琉球泡盛に興味を持ち、観光客気分で泡盛蔵を巡り始めると…
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泡盛検定協会(会長:古賀桃子/事務局:泡盛新聞)は、令和4年5月8日(日)より、泡盛検定3級合格に向…
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泡盛新聞は、令和2年3月20日(金)、創刊50周年記念事業の一環として、台湾と沖縄を股にかけ活躍する…
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沖縄には「もあい」という制度があります。
簡単に言ってしまえば、定期的に開催される飲み会のことです…
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令和元年8月24日(土)、名護市真喜屋の水田にて、地元農家の指導の元、泡盛業界関係者が泡盛原料用長粒…
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平成30年10月30日(火)、久米島の久米仙(久米島町、島袋正也社長)、瑞泉酒造(那覇市、佐久本学社…
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