【2005年3月号の続き】
松山王子尚順遺稿から男爵の古酒づくりの話をしてみたい。
(原文そのまま)。
男爵はそのアヒアーを集める苦労をこう述べている。
と述べている。
これは昭和13年代に「月刊琉球」に掲載された文章である。私はそのぐだりにすごく興味を抱いて日銀の那覇支店に電話で聞いてみた。その頃の金銭価値は現在のいくら位いに相当するかが知りたかったのだが、あまり要領を得なかった。今でも私はそのことは知りたい。
さて、男爵は古酒を作る順序として、「先ず良い瓶を求めること。良いアヒアーを気長く5勺なり1合なりを集め、これが23升出来たら親瓶を殖す2番3番の酒も用意しないといけない。これは仕次といって古酒を作るにはぜひ共なくてはならない必要品である」と説いている。
男爵がここでいうアヒアー(親酒)とは沖縄の方言では種豚などにも表現されるが、要するに元酒、原酒のことで、最も古い長期間貯蔵したクースと理解すればよい。
私がこの遺稿を何度もくり返し返し読んで残念でならないのは、その時代に大名や小名家
や漢方医やウェーキンチュ(金持ち)たちが家宝として持っていたクース(古酒)を貯えていたその容器は何焼きだったのかを書いてないことである。
シャム南ばんだったのか、壷屋の素焼きだったのか、はたまた古我知か、知花か、喜納焼き壺だったのか等々、それぞれの古酒の容器には触れていない。
私がしつこく知りたがっているのは、私の経験からすると古酒はその容器によっても熟成のテンポも違ってくるし、容器臭つまりその壷によっては土の臭いが出てくることもある。また、微妙に酒の欠減も違ってくる。
ともあれ現在の泡盛はしっかりしているから、自分の好きな43度の市販酒を買って5升壷なり1斗壷なりを求めて詰め、時の流れを気長に待てばよいと、まぁ私は思う。しかし、男爵のお説は基本的に頭の中で十分に吟味する必要がある。
古酒づくりは非常に簡単のようだが奥が深い、ということを肝に銘じて欲しい、と思う。
2005年4月号掲載