<前編はこちらから>
【座談会参加者】
◆和久稲 朝昭(元日刊記者・現三井物産那覇事務所)
◆座間味 宗徳(酒マニヤ)
◆深見 汎 (バヤリースジュース人事部長)
◆覆面子 (元日刊記者・現団体職員)
◆伊坂 善郎(元日刊記者・現団体職員)
◆司会 本紙(仲村征幸)
前号の続き
<座間味 宗徳>
戦後、沖縄では酒を作る前に進駐軍と一緒に洋酒が入ってきた。これを若い人達が飲み始め、そして年寄りまで影響された。もうひとつの原因は沖縄でも酒をドラム缶で造る前にすでにアメリカの缶ビールが入ってきたと、そう云う現象がずっと続いているということですね。
<深見 汎>
沖縄の人は非常に純朴ですからね。最初に受けた刺激をいつまでも持つと。
<伊坂 善郎>
最近の正月とか7月のこう云う風潮を見ましても、泡盛を正月に出すところは絶対に無いですね。最近は国際品の洋酒しか出さない。だからバーだけを責めるわけにもいかない。
もっと早めに開店せよ
<深見 汎>
消費者にも責任の一端はあると思う。先ほど覆面子が云われたように、どうして飲み屋は5時に開けないかと云うことですよ。沖縄では日が暮れないと飲み屋に行かないという悪い風習があるんですよ。
それが結局、バーそのものが開けたって、お客さんは入りませんからね。開けないと、云うのが大きな原因になっていると思うんです。
お客さんが5時になってどんどん行くとですね、それは儲かることだから当然開けますよ。開けないと云うことは消費者が行かないからです。
<和久稲 朝昭>
最近、日本酒の店“白雪”ですか、あそこね、早くからやっているんで、あすこでしたじを入れてから出かけましょうと云うことになるんですよ。やっぱりああ云う風にやればできる筈なんですがね。
<伊坂 善郎>
サラリーマンは5時に終わりますから、間がもてない訳ですよ(そうですよの声あり)。ですから、喫茶店へ行って1杯40セントのウイスキーを飲んで下地をつくる。本来なら泡盛なんですけれども、喫茶店は大体11時には開きますからね。
<和久稲 朝昭>
内地から来たお客さんですね、夕食にお誘いするのに7時にお迎えに上がりますと云うと、7時まで待つんかいと云うわけですよ。大体、向こうは6時に終わってね、帰りに駅前で1杯やって、それから行こう、となる訳ですが。
<深見 汎>
こっちもそうなんですよ。5時に終わって7時までの時間ね、やらんでもいい仕事まで残業みたいなかっこうでやって時間を潰さなければいかんしね。家帰って出直そうと思っても往復1時間もかかるから、そいつもできないかと。
<伊坂 善郎>
東京の市ヶ谷でおでんやに行ったんですが、9時と云えば宵の口でしょう。ところが店を閉める準備をしているんですよ。向こうは地方線でしょう。千葉行きのお客さんが多いわけですよ。新宿で飲むのは馬鹿らしいと、従って市ヶ谷まで行ってそこで飲んで帰ろうと云うお客さんが多いんです。ですから、9時までが1番混んでいるんです。
<座間味 宗徳>
桜坂のオリオン横丁のおでんや街は泡盛専門ですが5時に開けていますね。つまみも非常にいいです。おでんもいいんですが、つまみのおかわりが又、何とも云えないですね。
<伊坂 善郎>
伊坂以前はあそこはおでんやは僅かしかなかった。バーがほとんどだった。私もあそこは数々の想い出のあるところなんですけど(笑い)。今ではみんなおでんやになっている。
<座間味 宗徳>
ただそこで問題なのは、メーカーの種類が1つか2つしか並べられてない。そこに私、コレクションマニヤとしても味気なさを感じる訳です。少なくても5種類位いは置いて欲しいと思う。
<深見 汎>
ですから隣同志が別々の酒を扱って欲しいと云うことですよね。
<座間味 宗徳>
少くても5種類位は置いておかないといけない。
<和久稲 朝昭>
それがバーあたりで、僕はどうしてもこの酒が飲みたいと云うと“一寸待ってて下さい”と云ってひとつ走り行って買って来る、4合瓶をね。そして半分位い飲んで置いておこうと云ったらね、“こんなの誰も飲む人おりません”と、何だかこちらが馬鹿にされているみたいでね。
<覆面子>
別にね、バーとかキャバレーなどに、強いて置く必要ないじゃないですか。
島のよさを再認識する酒
<和久稲 朝昭>
この間、八重山に行って来たんですが、その土地ではそこの酒が飲みたいんだと、その時ですよ、僕は“瑞泉”は“首里の瑞泉”しか知らないものですから、“瑞泉”と書いてあるからこれは“首里の瑞泉”だろうと、この土地の酒をくれと云ったら、いいえこの“瑞泉”は“八重山の瑞泉”ですと。飲んでみて、なるほどと云うことになるんですがね、向こうの瑞泉うまい!やはりその土地へ行ったらその土地の酒を飲むと云う考え方も持ちたいものですね。
<伊坂 善郎>
やっぱり泡盛を飲む場合、泡盛を飲むなりの雰囲気ができあがってくると思うんですよ。そこでオペラを歌う訳にもいかないし、そのできあがった、泡盛を飲む雰囲気の中で自分たちの島のよさをお互いに再確認し合うと。
披露宴の酒に月日を入れ
<和久稲 朝昭>
1番改めて欲しいのは結婚披露宴内、ニービチ酒ね。最近はビールとか、ちょっとお金のある人は大体5人から10人位の1テーブルに舶来のウイスキーを1本ずつ置いてあるんですがね。
<座間味 宗徳>
結婚式の話が出ましたが、自分の趣味に関係するんですがね、1合瓶が出ますと持って帰るんですよ。自分のものは、側の人のペンを借りて誰と誰の結婚披露宴を名前と月日を書き入れて持ち帰えるんですよ。
<和久稲 朝昭>
いいですね。
<座間味 宗徳>
そう云うのが随分あります。お菓子とか他のものはすぐなくなりますが、酒はいつまでもある。
<覆面子>
勿体ない話だ。早速行ってみんなで飲もうじゃないですか。
<伊坂 善郎>
そこはさすがマニヤですからね、飲まさんでしょう。
<座間味 宗徳>
その中には私共の会杜の従業員の披露宴の酒もある訳ですよね。君等も結婚して何年になるなぁ等とあの酒に記入した月日を見て云うと、私に下さいとせがまれるんですがね、いいことですよ。
<覆面子>
泡盛や他の酒のコレクションもいいですがね、その巡り合わせた時の雰囲気の中で飲むのもよい。
<座間味 宗徳>
いやそれもわかりますがね、それは飲まない。
<伊坂 善郎>
飲んでどう云う酔い方をしたと、あの結婚式場で・・・。
<覆面子>
そこが問題で・・・。
<座間味 宗徳>
しかし、いつか私は返してあげようと考えています。
<和久稲 朝昭>
そうですね。結婚何周年とかに記念してね、これはいいことですね。
<伊坂 善郎>
その時はすでに離婚していたと云うことになれば大変だ(大笑い)。
商品は前の棚におけ
<座間味 宗徳>
私、しゅろで巻いた5合壺があったが、友達の嫁さんが是非くれと云うもんだから、あげましょうと。ただし条件があると。あなたの長男の結納の座でこれをあけてくれと。もう20年になりますが、まだそのまま床の間に置いてありますが、今では威張ったものですよ(みんな溜息をつく)。
私は今の家を5年前に新築しましたが、その時に大工さんが地鎮祭に使った御神酒と書いたのを綺麗に封をして、未だ置いてありますが、まぁ、ケチだからそう云うことができるんですね(一同爆笑)。
<伊坂 善郎>
モノを保管してあるんだがら、ケチではないでしょう。ところで酒の売り方、例えばラベルの面とか宣伝のやり方とかはどう思いますか。
<座間味 宗徳>
酒はですね、どこの小売店を見ても奥の棚に置いてある。吾々も商売だから自分の商品は前に置けと云っておりますが。
<深見 汎>
それが商売のモットーですからね。
<座間味 宗徳>
奥の棚にホコリをかぶって置きっ放しなんですよ、泡盛なんて云うのはね。
<深見 汎>
ホコリ(誇り)ある酒だからと云う訳でもないだろうがね。
<座間味 宗徳>
飲む人も宣伝している酒以外銘柄を知らない、それと地元でできるサキ、これだけしか知らない、もうひとつは大体30度で統一された酒しか売っていないから飲む人も酒くれと、ハイいくらと無意識の中に売買されていると、お座なりですよね。
どこ行っても、私はマチヤグワーをのぞくとまっ先に酒棚を見るんです。何か変ったレッテルはないかと。変っていると云うのはメーカーが変っているのではなく、レッテルが変っているんですよ。
私は知らない所行っても先ず店の酒棚を見て廻りますが、どこでもそうなんです。そこのところがメーカーの大きな不勉強だと思う。
総理大臣も大の泡盛党
<覆面子>
若槻禮次郎(第25・28代の内閣総理大臣)は泡盛をこよなく愛したといわれ、古酒を座右に置いて放さなかったといわれていたことを一発言う訳ですが、この酒は各国では造ってないんだということ、米の酒であること、そして量を注意すればほろ酔いで終り、明日への活力となり仕事が進むんだということ、こう云うことをいつも宣伝していたようですね。お客さんが来たらこう云う売り方をしなさいとアドバイスもしておりましたよ。
<座間味 宗徳>
売り方もメーカーが先ず指導をして売らすべきです。ただセールスマンに何本持って行きなさいと、店もはい何本と、これは説明が要りませんからね。お客さんが来たらハイ何セントと、これじゃシマーグワーと云われても返す言葉がないですよ。
<伊坂 善郎>
売り方の問題ですが、先月長崎と熊本に行って来たんですが、熊本の八代で、球磨焼酎なんですが、竹細工で民芸品にも匹敵するような外装をしてあるんですね。カラになったらきれいな花びんになるんですね。
<座間味 宗徳>
今はおみやげ用はコザ焼や壷屋の素焼が出ておりますが、以前首里寒川に浜千鳥と云う酒があったが、そこが最初に出したのがひょうたん型なんです。このひょうたん型を焼くのは難しいそうですね。それも私は持っておりますが、それが沖縄から出た最初のお土産品用です。
これは飲む酒じゃないですね、これは床の間の酒です。沖縄の酒も、若い人々がマンションやアパート住まいをしているが、1本買って置いておこうと云う飾りものにもなるような床の間用の酒も造らなければいかんと思う。
<深見 汎>
そうですか?酒は飲むものじゃないですか(爆笑)。
<和久稲 朝昭>
空ですよ、空になったあとどうするか、でしょう?
<座間味 宗徳>
いやいや、中味入ったまんまですよ。
<覆面子>
そう云うのがあるんですよ。
<深見 汎>
そうですか。酒と云や飲むものと思っていたんですが。
野の酒、山の酒も考えよ
<座間味 宗徳>
メーカーの販売政策ですよ。床の間の酒と云うのは沖縄はわからないだけであって、本土では焼き物の有名なところで2合壺で2万円になるらしいんですね。それと長野県の基礎の御嶽山の下の地酒で“七笑”と瓶に書いてありますが、私は泡盛と交換しましたが、これなんかも飲む酒じゃない、床の間の酒らしいんですね。見る酒!
<深見 汎>
やっぱり容器ですね。
<座間味 宗徳>
泡盛もこう云うようなね、メーカーがそれまで工夫しなくちゃいけないです。ぢゃ、うちの床の間に飾っておこう!となるとそれだけ消費が増えるわけですよ。販売計画ですよ。
<和久稲 朝昭>
終戦後の、最初沖縄でやった時には、ここの今の壺ですよ、十何年前に内地から壺入れて酒詰めて出たんですからね。最近でもそう云うお土産品たくさんありますよね。ハワイに行って、お土産をたくさん買って帰ったらみんなメイドインジャパンだったと、それと同じですけとね。何かもっと考えてね沖縄独特のものを作らなければいけない。
<覆面子>
今ね、販売とか経営とかいろいろ出ましたが、泡盛そのものを再認識して欲しい、そう云うことが大切なことぢゃないかと思う。
<座間味 宗徳>
再認識させるためには、メーカーが庭の酒、野の酒、山の酒をつくることです。庭の酒、野の酒とは何か、つまり果実酒をつくることです。そう云う風にして消費を増やさなければいけないですよね(一同頷く)。
例えばヒル酒(にんにく酒)をつくるとか。桑の木は幾通りもつくれるんですよ、葉っぱは漬ける、実は漬ける、幹は漬ける、あれは野山にも沢山ありますので、そう云う酒のつくり方をメーカーが消費者に教えて、消費を増やす方法を考えなければだめだ、それも販売政策なんです(一同頷く)。それは絶対的な消費に繋がると思う。
メーカーは何も教えない
<和久稲 朝昭>
それは今云われたような、それが物凄く合理的じゃないかと云う裏付けがあるんです。氷砂糖が今不足なんです。本土でも家庭用酒づくりが非常に盛んですよ。焼酎メーカーの宣伝が行き届きましてね。
私んところのこの酒を何合と梅を何個と氷砂糖をいくら入れて作ったらこう云う酒が出来たと、これをオンザロックで飲んだらね、夏の清涼飲料代わりになると、やっているわけですよ。だから泡盛ももっと飲み方をメーカーが教えていかなければいけない。
<伊坂 善郎>
パンフレットなんか作って、「泡盛の飲み方についてあなたにお教えいたします」とかね、そしたらもっと泡盛は伸びると思う。
<座間味 宗徳>
グラスメーカーとタイアップしてね、果実酒用のグラスを開発させて、レッテルも果実酒を作るためのレッテルを作ると、その辺のところもメーカーは全然教えていない。何も教えていない。
<伊坂 善郎>
そう云えばメーカーの銘柄も容器にたたき込むべきですね。
俺のニッカはトリスだ
<和久稲 朝昭>
銘柄と云うやつをもっと大事に理解させて、消費者は王様だと云われているが、沖縄のそれは盲の王様ですよ。何一つ指名しないですよ。指名度が低いひとつ面白い話があるんです。
私は前に或る放送局にいたんですが、その当時ですけど、一番最初にやったのに10時にニッカウヰスキー提供のニュースを流したんですよ。このニュースは先島でも聞かれたニュースなんです。
ところがその当時、よく売れていたのはトリスなんです先島では。笑えない話なんですが、先島ではニッカくれって来る訳ですよ。指名されたから立派なものだと思っていたら、その後がいけない。
ニッカを差し出すとウレーアランと云って、俺のニッカはこれだとトリスを指すんですよ。ニッカの会社で造ったトリスだと考えていたらしんですね。びっくりしましたね。時効だから云えるですがね。
ニッカはラジオでニュースを流しているから知っている訳です。トリスが1番売れている時に俺のニッカはこれだと云うのがトリスなんですよ(大笑い)。その人のニッカはトリスでしかなかった訳です。
<伊坂 善郎>
そう云う問題は往々にして、例えばサントリーさんの場合でも商品名と会社名と違った商品を出してくるんで、そう云うことも起こると思いますが、やはり結びつけてやるような、沖縄の場合は銘柄が一部知られて、造っている会社が知られていないところが多いですね。
<和久稲 朝昭>
1番面白いのがアースですよ。要するに蚊取線香にしろ虫退治にしろ、全部アースなんですね。最近はいろんな新製品が出てきているが、田舎に行ったらフマキラー持ってきてもアースですよ。ここまで行ったら売れなきゃいけない。知名度があがっているのですから。
<深見 汎>
味の素と一緒ですね。うちの会社バヤリースはオレンジだと云うことで、お客さんはバヤリースと云えばオレンジだと云う先入観があるものですから。ところがバヤリース社ではコーラも作っておりますし、ソフトドリンクの99も作っております。
ところがお客さんが電話でうちの会社に注文なさる時に、コカコーラも何ケースか混ぜてくれと、バヤリース社でコカコーラを売ってる筈ないですよね。99もセブンアップと注文してくる訳ですよ。お客さんですから訂正しにくいし、かしこまりましたとなるわけですがね。
<座間味 宗徳>
これは販売政策のまずさですよ。今日のこの醸界飲料新聞は全琉の業界やメーカーにも行く新聞ですから、はっきり云いますがね、私は離島は未だ全部は廻ってませんが、本島は国頭から糸満まで廻ってよくわかりますがね、電話帳には何々酒造と書いであるが、売っている品物の名前は違うんですよ。社名とレッテルの名前が違うんですよ。例えば瑞泉は社名でもあるが瑞穂は沖縄酒類醸造株式会社でしょう。
<和久稲 朝昭>
難しい名前を付けてあるんですよあれは。今度瑞穂酒造に変えたんじゃないの?まだですか。
<座間味 宗徳>
販売政策のまずきですよね。白鶴なんかも白鶴酒造でしょう。メーカー名と商品名は同一にすべきだと思う。
日劇の地下にも泡盛屋
<和久稲 朝昭>
座間味さんのお話を聴いてて面白いと思ったのは、沖縄の泡盛が戦後、本土に行ったのが昭和26年(1951年)前後ですよね。今先、覆面子が云われた大阪の宮城さんと云う方が最初やって、神戸におられたんですが、それからね、今度は東京でもやらなきゃいかんと云う訳で、東京も始めたんです。
その当時、私は琉球新報の東京支局におったものですから、日劇の地下に泡盛の店をつくったんですよ。今から14~15年前ですか。そこに例の有名な火野葦平(小説家)のね、歌を書いてやっていましたが、何としても客が寄ってくれないんだよ。
私達が盛んに客を引っ張って行きましたがね、その頃は新橋駅の前に沖縄屋と云う店があって、昔辻で鳴らしたおばあさん達が2~3人集まって、知名士の客が多かったが、沖縄的なつまみを出して泡盛を飲ますと、ここは流行ってるんです。
日劇の地下で泡盛を飲む人いないんですよ。当時はただ琉球泡盛なんです。五反田にも泡盛の店を作ったりね、泡盛と云ったら内地の人はみんな同じだとしか見ないんです。
内地から酒好きが来た時には、いやー50ヶ所以上違ったのがありますよと話してやりますがね、東京で飲んだ味と違うと云うんですね。で彼等が欲しがるのはクースと、古酒ですよね。
どこのクースかと聞いたら、どこのクースか解らない。とにかくクースですと云う訳でね、ここら辺に問題があると思うんです。
クース以上のイラブー酒
<座間味 宗徳>
これはですね、今吾々がこうして座談会していますが、吾々よりも本土の人がよく知っている。最近ね、イラブーで作った酒を探してこいと云われてね、ハブ酒も飲んで見たと、イラブー酒がいいんじゃないですかと云われて、私は返す言葉がなくてね、あるかも知れませんよ。
<深見 汎>
養命酒以上の価値があると思いますよね。
<座間味 宗徳>
例えば覆面子が云われた海人草酒(まくりざけ)ですよね。私は今始めて聞いたんですが、明日すぐ買ってきて作ります。早く作らないと無くなるかも知れませんから(大笑い)。そう云うものも全住民に教えるべきです。メーカーの責任です。販売政策ですからね。
<伊坂 善郎>
今、泡盛と云うのは固定化してしまって、例えば古酒にしても、こう云うのがクースだと観念づけられているが、泡盛を原酒にして果実酒に活用したり多様化の用途を考えるべきですね。
<座間味 宗徳>
現代的にこれを改めていかないと、例えばあなたの好きな酒を作って床の間に1斗甕を置きましょうとかね、販売政策に非常にいい。ヒル酒(にんにく酒)を作ってあげたり、梅酒を作ってあげたりね。
<伊坂 善郎>
沖縄で泡盛以外の酒の開発ですね。例えば洋酒みたいな味のするような。
<座間味 宗徳>
沖縄で果実を使ったブランデーとかね、今、羽地でパインの残滓(ざんし)を利用してブランデーを作っておりますね。
<覆面子>
まぁ醸造とかね、一般的な大きな考えじゃなくて、泡盛を本当に愛するものとしてね、やっぱり手造りの酒をみんなでだーいじに育てていくようにならないと、本物じゃない、まぁ、経営とかね販売とか云うのは吾々消費者とはあまり関係ない。
<和久稲 朝昭>
まぁ愛される酒をつくらなければいかんですよ。
(次号に続く)