昭和15~16年(1940~1941年)の“あわもりや”のお正月といっても、ただ忙しいの一語につきた。大晦日まで商売をやり、夜中過ぎに店を閉じて、狭い店内を大掃除、未明ごろにやっと銭場に行って1年のアカを落すのが習慣のようなものであった。
もちろん、元旦はお休み。一家そろって初詣をするのである。京都で商売をしているものは、だいたい八坂神社とか伏見稲荷、少し足をのばして石清水八幡宮に初詣をしたように思う。なかには、夜中のうちから出かけて、初詣のハシゴをやるのもいた。神社仏閣の都のせいであろう。
それでも、戦争もどんどんすすんで、食糧が統制されるようになると、いろいろの神社の門前町の名物料理屋の品が落ちてしまって、初詣の楽しさが半減はしたが、酒どころをひかえているせいか、伏見の酒は厳然とした風格をもって人々に愛されていた。
伏見稲荷のスズメの焼き鳥もまだ辛うじて残って、金鶏正宗などの盃を傾けながら、骨ごとかじっていた。
石清水八幡宮前では、もうごはんだけというのはなく、大根めしといって、大根のまぜごはんが出ていたのには驚くとともに「戦争が相当進んでいるんやな」と痛感させられた。
元旦の初詣が終わると2日からまた忙しい“あわもりや”の早朝開業に深夜閉店が始まるのである。戦争も押し迫ってくると営業時間も制限を受け、歌舞音曲は禁止となり、昔の“あわもりや”らしい雰囲気は消え、後はなんとか配給券と引き換えの酒販売所に成り下がってしまった。
戦前のサービスのよかった“あわもりや”には、飲み客の水準も高く、沖縄学の議論も交わすひと時もあったが、戦中はすっかり特色を失ってしまった。
しかし、沖縄ブームとともに戦後、“あわもりや”が戦前よりも多角的に多彩に発展しているのは何よりも嬉しいし、“あわもりや”讃歌の文も綴る者にとって、熱い喜びである。
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