与論献奉なる酒席での儀式をご存じであろうか。
「第一条」与論献奉は与論固有の献奉で、与論島の象徴(誠の心)である。
「第二条」与論献奉は金町民の真心を主賓に献上してから関係者全員に施行する。
「第三条」与論献奉は適物適量を厳に一回だけ猷上する。
「第四条」与論献奉は平等に施行し何人たりともこれを断ることはできない。
「第五条」与論奉行者は主賓等の適量をあやまってはならない。
「第六条」与論献奉施行者は施行前に主旨等を口述し味見をしてから施行する。
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これが第十条まで続く。要するに酒飲みが酒座での余興なんだと言えなくもないが、そこにはやはり宮古のオトーリのような深い歴史が秘められているのかも知れない。しかし、オトーリと決定的に違うのは大盃で一回きりだということである。
去る10月11日、1泊2日の日程で我ら「ゆんたく会」なるグループ10名がユンヌイラブ(与論島)へ旅をした。このグループは全員本部町、字具志堅の生まれ育ちで年令差もあまりない。20代で各々、「青雲の志」?を抱いてナーファ(那覇)に出て来て事業をおこし、或いは就職をした異業種同士の面々で、かれこれ30年になる。
面白い?ことには皆、大の泡盛党ときていることだ。与論島は我が具志堅からは指呼の彼方に浮かぶ島で天気のいい日にはくっきりと見える島である。だが、このグループ誰ひとり行ったことがなかった。
那覇港から大型フェリーで4時間、本部港からだと2時間30分の近距離である。どうせ瀬底島ぐらいの小島であろう、と想像していたのであるが来て見てびっくり。面積こそ広くはないが人口は6,097人(平成12年)もいる。正式には鹿児島県大島郡与論町というれっきとした一町である。
昔は琉球王府時代から復帰前まで同じ琉球民族であった。見る物聞くもの皆がウチナーそのものであった。今回の旅では神奈川県の掛田商店の掛田勝郎社長が事前に細かい手回しを下さったおかげで快適な日程を楽しむことができた。
一行は港から与論コーラルホテル(福地登志彦支配人)のマイクロバスで早速島内観光、ヨロン島自然薬草本舗、与論民族村などを見学したのであるが、見る所がいっぱいある。
恐縮したのは島唯一の黒糖焼酎メーカー有村酒造株式会社の有村晃治社長が二日間付きっきりで御案内したことである。特に12日は工場は休みだというのに福地守充氏とお二人で工場を案内、黒糖焼酎の出来るまでの工程を説明、一同を感激させた。
勿論、島に着いたその晩の親睦交流カラオケバーでも酒は有村酒造の銘柄「有泉」オンリー。私は工場見学の後一人残って有村社長と福地杜氏にインタビューをした。ここからは職業意識である。
詳しくは小紙で紹介するが、考えさせられたのはびんの底に詰めた年月日が打たれていることであった。泡盛よりも進んでいる。帰り際にあつかましくも取って置きのクース(古酒)在望した處(ところ)、先代社長時代の貯蔵酒15年ものを味見させてくれた。私にとって旅は収穫の宝庫である。豪華で静かで、空気がおいしい与論コーラルホテルの食事のうまさ、しかも信じ難い程に宿泊費が安い。
「有泉」もうまかった。特にあの、15年ものの落ち着いた香りとアルコールを感じさせない味の深さは印象深い。あ、カラオケバーのべっぴんさん、きれいなママさん、ホテルに勤めて4年になるというヤマトゥおねえちゃんは特に忘れられない思い出になろう。
神奈川県の掛田さん、有村酒造(株)の有村社長、福地杜氏、与愉コーラルホテルの福地支配人の皆様にゆんたく会員を代表して本誌上から厚く感謝申し上げます。それからそれから名前を聞き忘れたが、あのヤマトゥおねえちゃん!アリガサマリョータ。
いつの日か再びユンヌイラブを訪れたい。足腰が立てばの話。
ところであの図体のでかいフェリーの階段は急勾配で長くて難儀だ。船内口ビーや客室は上等すぎる程立派なんだがなぁ。
船を利用するのは若い人々だけではない。図体のデッカさでは物は大量に運べるが、人間はそうはいかない。物も人も、という発想からの大型化であれば船の設計も考え直さなければ、いや、改造でもしなければ「乗り遅れる」なぁ。
2003年12月号掲載