沖縄には「もあい」という制度があります。
簡単に言ってしまえば、定期的に開催される飲み会のことです。
しかしながら、こと沖縄においては、それ以上の意味を持っています。
もあいは、飲み会であり、親睦会であり、互助会であり、参加者同士の相互信用保証の会なのです。
ですから、「今から”もあい”」という人の行動を留めることは許されません。
ある人と、かなり”濃い”関係であることを表現したければ「もあい仲間」と言えば事足ります。
文具店に行けば、ジャポニカ学習帳の隣で”もあい帳”が売られています。
そんな特別な飲み会、”もあい”のお誘いを、沖縄本島最北で最東の酒造所「やんばる酒造」からいただきましたので、二つ返事で参加することにしました。
10月28日、午前11時。自宅より沖縄都市モノレールで終点、那覇空港へ。
案内状によると「11時45分に、到着ゲートAとBの間にあるインフォメーション窓口辺りで集合」とのこと。とりあえず到着ゲート方面へと向かうとまず目に入ってきたのが、謎の行列。
まさか?と思いつつ先頭を探すと、ポーク卵おにぎりの専門店へと続く行列でした。
気を取り直して、ウェルカム熱帯魚に挨拶しつつ、インフォメーション窓口に近づくと、観光地のパンフレットが並んでいるので、反射的に泡盛関連施設の冊子をゲット。
パンフレットをしばし眺めていると、徐々にそれ風の人々が集まってまいりました。
その中には、世田谷で毎週木曜日に泡盛の会を開催している泡盛部や泡盛で世界征服を企む秘密結社黒麹団の幹部とおぼしき人物も数名。
噂では「世話役的な人が来るはずよ~」とのことでしたが、結局世話役は現れず、バスの運転手につれられ駐車場へ向かいます。
駐車場へ着くと、そのままバスに乗り込み、やんばる(沖縄県北部地域)を目指し北上を始めました。
車中では、シークワーサージュースやアメがどこからともなく回ってきます。
まだお昼すぎなので、できるだけ泡盛部や黒麹団の近くに座らないように心がけましたが、何やら前の方からお誘いが。。。
昼でもうまいのです。やんばるくいなと升本屋(泡盛部の本部)の塩みつかりんとう。
あとは、ひたすら飲み、もとい、ひたすら北上すれば、やがて車窓に海が広がり始めます。あいにくの曇り空でしたが、ほろ酔いの乗客には、たいした問題ではございません。
途中トイレ休憩をはさみながら、那覇空港から約2時間。気が付けば、今夜の宿、オクマプライベートビーチ&リゾートに到着。
今回のもあいは、もあい金が1万5千円(税抜き)とのことですが、オクマプライベートビーチ&リゾートの宿泊付きということで、その他の話はよく理解しないまま「行きます」と返事したのは私だけではありませんでした。
噂には聞いていましたが、別荘感満載のリゾートホテルです。フロントでチェックインを済ますと、キーを預かり、次の集合時間まで各々自分の別荘で軽く休憩。写真は私の別荘のリビングです。
集合時間が近づくと、身支度を整え、いざ、やんばる酒造へバスで向かいます。
やんばる酒造は、オクマプライベートビーチ&リゾートから3kmほどの大宜味村の田嘉里集落にあります。
海岸沿いを走る国道58号線からはそう遠くは離れていませんが、それでもGPS付きのカーナビやスマホの地図がなければ、初めての方はきっと一度ではたどりつくことはできないでしょう。それくらい緑の中に溶け込んでいます。
そして到着し、バスから降りると、いつもとは違う景色が二つ。
一つは、「やんばるもあい」の看板がかかったビニールハウス。
もう一つは、その前に広がるビールケースを土台にして作られたテーブルや椅子らしきもの。
「ここで何かやるのだろうか???」
もあいをやると聞いて、勝手に私が想像していたのは、工場見学などをした後、
①オクマプライベートビーチ&リゾートに戻り、ビーチや宴会場で懇親会
②大宜見村の大きめの居酒屋(あるか知らんけど)で懇親会
③集落の公民館的な場所で懇親会
以上。
「こんな、オープンスペースでもあい???」
十分に悩む時間を与えられず、工場見学がスタート。
工場長の案内で、蔵を一周すると、今度は「箸をつくるので、着席するように」との指示が。
「箸をつくる???」
これまた十分に悩む時間をもらえず、小さな角材と小さなカンナが手渡され、先生のご指導の元、ひたすら棒を削り、箸風の棒を制作します。
そんなこんなをしていると、ビールケースのテーブルに、何やら”葉っぱ”と料理が並びだし、どことなく集合する雰囲気に。
そして、壇上ではまるた娘こと専務のあんこさんがマイクを握り、やんばるもあいに対する想いを語り始めます。
「私たちやんばる酒造株式会社は、本島の北部、やんばると呼ばれる自然豊かな場所にあります。今から約70年前の1950年に、地域の人たちの出資で操業しました。
最初は自分たちで飲む分だけをつくっていましたが、大切に育てたお酒を”おいしい”と言ってもらえるのが嬉しくて、集落以外の場所で売るようになりました。
でも、創業から70年、気が付くと、お酒を飲む人は減り、いつしか思いだけが空回りするようになりました。
都会に売りに出かけたり、デザインを変えたり、いろいろなことを試しました。いろいろなことをした結果、最後にたどりついたのは「私たちの居場所に帰ろう」ということです。
やんばるの島酒としての誇りを忘れないように、会社の名前も”やんばる酒造”にしました。
この村の人たちが大切にしてきた”誰かと飲むお酒”であることを忘れないように。やんばるに来てくれる人を、私たちのお酒に興味をもってくれる人を全力で大切にしよう。そう決めたらじっとしていられなくなりました。
もしよかったら、私たちと、満天の星の下、やんばるの島酒を飲んでほしい!
出会った皆様が、これからも互いにつながり、気軽に集まれる場所でありたい!
それがこの”やんばるもあい”です。」この思いは、現在やんばる酒造のホームページにも掲載されています。
その後、料理や準備されている飲み物の説明などがあり、地元の代表の方の乾杯で、やんばるもあいはスタートしました。
ビニールハウスの中には、カクテルブースがあり、南国のフルーツをふんだんに使ったカクテルが振舞われました。もちろんベースとなる泡盛は、やんばる酒造の「尚」40度。
尚は、ホワイトリカーらしいキレの良さを追求するため、従来の泡盛製造法をゼロベースで見直した新製法泡盛です。カクテルにしても、フルーツの甘み、酸味をみごとに融合させる神アシストを見せていました。
また、ハウスの中にはもう一つのカウンターがあり、そちらでは、海中で熟成させた泡盛をストレートで熟成期間別に飲み比べることができます。
同じ時期に製造された泡盛を、陸と海で別々に貯蔵したものもあり、元が同じでも、まったく味が変わっているのがなんとも不思議です。
しばらくすると、もあいらしく自己紹介がはじまりました。そしてその脇では、トウモロコシが焼かれ、映写機で蔵のイメージビデオが映されていた貯蔵庫の扉からは音楽とともに獅子がでてきて、その脇では今帰仁産の和牛が焼かれ、地元のミュージシャンの歌が始まると、その脇では、やんばるの珍味「ハイケイ」が焼かれ、あちらこちらで杯が交わり、あっという間に夜が更けていきました。
酔いも回って見上げれば夜空の星。遠くの山々に染み渡る歓声。
何と言いましょうか、沖縄に何十年も住んでいる筆者ですら「一生に一度あるかないかの体験だなぁ」としみじみ感じ入ってしまいました。
あらゆることが想像のはるか上空を行くもあいに遭遇し、いろいろ出てきた郷土料理の詳細、おそらくすべての電気を供給していると思われる電気自動車について、手の込んだ飾りつけ、おしゃれなロゴ、美味しすぎるカクテル、ハイケイマイスター?たくさんのことを聞くのを忘れてしまいましたが、もういいです。
やんばるもあい最高。ただ、それだけ。
翌朝、海辺の別荘のふかふかのベットで目覚めると、お土産にもらったとおぼしきシークワーサーのかすかな香りと鳥のさえずり。この幸せ、わかるかなぁ。
【参考】やんばるもあいってなーに?(やんばる酒造ホームページ) ←(もあい仲間になるためには、やんばる地域のサポートをお願いします。)
文・写/二代目預