逸材探訪 ~鑑定官が若き経営者に聞く~(池原酒造編)
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[公開・発行日] 2018/06/06
[ 最終更新日 ] 2019/01/29 - 飲む
池原:一番大きく影響したのは、東日本大震災です。当時、福島県出身の友人も何人かいまして、彼らが地元の家族と連絡が取れないと不安になっているのを近くで見ていると、急に自分も地元にいなければいけないような気になってきまして。帰って蔵を継ごうと。
小濱:蔵を継ぐことに対して、ご家族からはどのようなご意見がありましたか?
池原:祖父は、継ぎ手がいなければ廃業も考えていたようで、どうしても継いで欲しいというのもなく、やりたいならば、じゃあ分かったという程度で。
小濱:やりたいならば、やってごらん、という感じですかね。
池原:でも、やったらやったで、製造の学校に進学しとけばよかったといろいろ後悔はしましたけど(笑)
小濱:いきなり泡盛造りに入ったという感じで?
池原:そうですね。ですから櫂(かい)入れにしても、麹マジン(製麹)にしても、教わるままにやるんですけど、細かい点で、この作業は何のためにやっているのだろう?という疑問が次から次へと湧いてきて、その時から鑑定官の先生方にはかなりしつこく質問させていただきました。
小濱:質問していただいた方が我々もやりがいがありますので。
池原:祖父も転職して蔵に入ったため、感覚で実務を覚えていて、理論的な教え方はしてくれませんでした。今思えば、本当に初心者のような質問をいくつもしていましたね。
小濱:毎日働いていると、なかなか理論的なところまで説明する余裕もないですしね。
池原:ついでに、最初のころは、社長でもないし、製造の責任もあまり感じていなかったので、かなり頻繁にゴルフの大会に出場したり、将棋をやっていて、かなり怒られましたね。
小濱:それは趣味で?
池原:趣味ではありますが、県民大会に八重山代表で出たりしてまして。
小濱:けっこうガチですね。
池原:大会だけでなく練習にも行くわけですから、それは怒られますよね。ただ、3年前に結婚しまして、2歳の長女と去年の12月に長男に恵まれまして、今は心を入れ替えまして、仕事と子育て中心の生活をやっています。
小濱:ゴルフはもう辞めたのですか?