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アーカイブ:1972年 7月
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地酒の旅part4 漢那酒造<現、請福酒造>(昭和47年7月10日)
漢那酒造有限会社の漢那憲副氏は、手八丁口八丁の男である。行動力が抜群で常に動いているこの人に、世評はいろいろあるが、全然気にしないところが漢那憲副氏のよい面であろう。対談して人を惹きつける話術は絶妙である。口も悪いが、そ… -
【瑞泉酒造】貯蔵設備大幅拡張~5年で12,000石能力~(昭和47年7月10日)
業界によびかけてもなかなか解決しない、今もってその姿勢さえ伺えない、いわゆる特別措置による泡盛の減税額の活用問題は、業界の火急の課題だが、瑞泉酒造株式会社は(佐久本政敦社長)では独自で特別措置に対応していこうと、このほど… -
【大蔵省】税制の基本に抵触~琉球泡盛の定義付け、今後更に検討したい~(昭和47年7月10日)
沖縄経営者協会では、去る5月4日から6日までの3日間にわたって、自由民主党の衆議員、宇野宗佑財政部会長、高野千代喜政務調査会幹部を囲んで懇談、沖縄側企業が抱えている諸問題について、企業別要望書をまとめて提出してあったが、… -
明治時代の泡盛産業 前編<文/いしがきたすく>(昭和47年7月10日)
沖縄で酒といったら言うまでもなく“泡盛”のことである。昭和の初期まで泡盛は外来の粉末を原料に“コウジ”をつくり、それに水を混ぜて蒸留したもので、本土の清酒の醸造とは工程が違う。 無色清澄(むしょくせいちょう)、香気芳烈… -
酒壺専門の窯場~有限会社 沖縄陶業~(昭和47年7月10日)
泡盛業界は壺容器の品不足に悩まされている。今後益々その需要は増大するものと予測されるが、今度その需要に応えるべく西原村朝翁長834に有限会社沖縄陶業(新城信勝社長)が創業開始した。新城社長は、今後郷土の銘酒琉球泡盛を郷土… -
本土に10銘柄の琉球泡盛(昭和47年7月10日)
税制調査会のまとめた資料、「泡盛」の名称使用等の状況によると、沖縄県以外でも10銘柄の「あわもり」が本場あわもりと銘打って製造販売されていることが明らかになった。本土復帰後、沖縄の泡盛業界の市場が本土に向けられている現在… -
地酒の旅part5 本部の石川酒造<現在はありません>(昭和47年7月10日)
“本部町”と云えば、来る国際海洋博の中心地となるところだが、同町の字東201番地に、広い屋敷をデンと構えた石川酒造所がある。 泡盛造りは戦後民営に移管された年で、ここも戦後からのメーカーだが、現経営者の石川清光氏は、実… -
サービスとはなにか~ホステス紙上講座~ vol.1(昭和47年7月10日)
店を作って、看板をあげたらお客様がくると思ったら大間違い。なにしろ他の商売と違って、お客様が十分にその原価を知っている酒を、その何倍かで売る上に、しかも喜んで、楽しんでもらおうと云うのだから、並大抵でない努力を必要とする… -
サービスとはなにか~ホステス紙上講座~ vol.0(昭和47年7月10日)
右を向いても左を見ても真暗闇でござんす。うたの文句じゃないけれども、とにかく今の世の中は暮らしにくい。例えばワンマンカーなるバスに乗って、うかつに間違えて料金箱にお金を入れておつりを請求しようものなら、「君ィ、バスに乗っ… -
泡盛、一部値下げ~小売値400円(1.8L)に~(昭和47年7月10日)
復帰に伴う異常物価高は我々消費者庶民にとって“復帰公害”の最もたるものとなっているが、泡盛業界では復帰後5ヶ年間の税制面の特別措置が講ぜられており、このほど国税沖縄事務所のアドバイスもあって、業者が自主的に1升瓶の値下げ…