瑞穂、復帰への基本姿勢、経営改革強く打ち出す
沖縄酒類醸造株式会社(玉那覇有義社長)では、首里末吉町の同工場内に新しく完成した天龍蔵の落成を記念し、去る4月10日午前10時から経営方針発表会を開き、続いて午後2時からは内外知各人、本島各地の愛飲者、小売店代表、本土取引き業者等約2,500人を招き、新工場を披露、謝恩パーティーが開催された。
〆めて1万3千ドル也の経費を投じてのこの種催しものは、斯界では全く初めてであり、瑞穂酒造が本土復帰を目前に控えて、いかに前向きに取っ組んでいるか内外に沖縄の泡盛業者の姿勢を示したことは、ひとえに泡盛業界だけでなく、他中小企業界にも大きな刺激となろうし、他産業に先がけて打ち出された経営方針発表会は、今後の瑞穂酒造の新しい方向づけとして注目されよう。
同日、午前10時から開かれた経営方針発表会には、日刊両紙、各TV、ラジオ、業界紙の各記者、又沖縄銀行頭取である古波蔵盛光氏、国際観光都K・Kの高良一氏、農林漁業中央金庫理事長の大城源平氏、本土取引業者の各氏を来賓に招き、同社60人の従業員が社長以下揃いの瑞穂のハッピ姿でりりしく勢揃いして行なわれた。
“本土復帰を前にして激動の時代を勝ち抜くため”のキャッチフレーズで行なわれたこの経営方針発表会の目的と狙いは、
(1)全社員の意志統一
(2)昭和46年度(1971年度)の重点指針の徹底
(3)社内コミュニケーション
(4)企業PR
となっており、「超一流の水準をゆく企業体制づくりに徹しよう」「大きく考え、大きく行動し、大きく脱皮しよう」の経営スローガンを掲げ、経営方針は5つの骨子からなっており、
一、創業124年の伝統を基盤とし、新しい時代を切り開く経営体制づくりに徹する
一、職務の完全遂行と成果に直結する人づくりを実施する
一、目標管理に徹し、ムダ、ムラ、ムリを排し、効率経営の実現をする
一、魅力ある商品開発の推進と業界のトップ水準を行く販売体制をつくる
一、豊かさと厳しさに満ちあふれた職場をつくる
となっている。
先ず、宇根底講順氏の開会宣言、経営スローガンの音頭をとって全社員斉唱し、続いて玉那覇有義社長が「瑞穂はこのたび2万石工場落成を迎え、経営方針発表会を催すことができたことを社員共々喜びに堪えない・・・。(全文はこちら)」と云う経営方針が述べられ、続いて総務部担当大城昌英氏、製造部担当島袋寛喜氏、瓶詰部門担当具志堅用仁氏、販売部門担当石川苗興氏の各氏がそれぞれ幹部決意を表明、従業員を代表して新田宗淳氏が力強い宣誓を行なった。
引き続き従業員表彰に移り、永年勤続者、新田宗淳氏、花城清昭氏、島袋寛喜氏、安慶田ツル氏の各氏に賞状と記念品が、又、比嘉利安氏、比嘉俊子氏、潮平光子氏、新垣富子氏の各氏に職務精励賞として賞状と記念品がそれぞれ贈られた。
総務部担当の大城昌英氏は、「我々全社員が考えを一つにし、苦しい事点に立ち至っても屈することなく努力していこう」と決意を表明、今年の重点方針として
一、労働時間の短縮
一、賃金体系の整備
一、職場規律の確立を掲げ、復帰時点で本土並み賃金に近づけたい
と語った。
なお「労働時間の短縮は今年4月1日より実施」「社員の能力による賃金制度を実施し、信償必罰の原則にのっとっていく」「厚生施設の早急整備」「職場提案制を実施し従業員が前向きに思ったことを自由に発言できるよう意欲ある会社にする」「今後人材育成に努力していく」との具体的な方針も明らかにもした。
続いて製造部門、瓶詰め部門と方針発表が行われたが、特に、営業部門を代表して方針発表に立った石川苗興氏は、「田辺経営の指導のもとに販売体制を改革することはとりもなおさず当社の販路の拡張に繋がる」「細部にわたる販売計画を立案することは私達が考えて行動することにより、瑞穂の知名度を上げることにある」「販売計画を立案、総務の待遇改善と関連して売上の上昇を図らなければならない」「セールスマン養成のための講習会を実施することは、新しい時代と共に生きる企業としての私達の使命である」「セールスとは何かを原点に立ち返って考えることは、消費者の要求に対する企業の行き方を一歩前進させることにつながる」「セールススマンが消費者にできるサービスとは何か等を考えるセールスを実施し、お客さんの要求を満足させる事にある」と販売面の積極的改善問題にふれ、瑞穂酒造の今後の販売政策面を斬新的感覚でとらえ、新しいビジネス構想を打ち出した。
最重点攻略は那覇市
そして那覇市内を今年の最大重点市場として
(1)最大の消費市場を制することが、超一流の企業を目指して前進しつつある我が瑞穂の最高使命である。
(2)全琉人口の3分の1が那覇市に居住している、その那覇市を攻略することが全琉の販売につながることを考える時、会社の総力を上げなければならない。
(3)今年はあらゆる宣伝、販売体制を那覇市重点に実施する。
と結んだ。
又、社員を代表して先生を行った新田宗淳氏は、「社長の経営に対する基本的な考え方、社員に対する基本的な考え方を十分理解することが出来た。」「私達は60名の社員一同、社長の方針に沿って十分な成果が上げられるように努力する。」「会社が我々に何をしてくれるかとと云うこと以前に、会社のために我々に何ができるかと云うことをよく肝に銘じて仕事に邁進したい。」「瑞穂は他の泡盛と異なり、超一流品であるべきとのスローガンの通り、私達自信も超一流品を造り、超一流品を販売していると云うことを誇りに思い、自信を持って働く決意である。」と発表した。
来賓祝辞に立った古波蔵盛光沖銀頭取は、
「沖縄で最も新しい経営方針発表会を催したことに感服している。経営スローガンにもある通り、玉那覇有義社長には大きく行動する様な体格も備わっており、更に近代経営学の権威ある(株)田辺経営さんの相談を受付ており、“ムダ”“ムリ”のない心遣いをし、世界的な酒にするよう努力していることは非常に喜ばしい。
今後は沖縄だけの泡盛ではなく、アメリカ等にもその良さを大いに認識させて下さい。更に従業員一人ひとりが意欲に燃え、特に伝統ある泡盛づくりに若い人に認識をもたせ、製造部門にその若人が多勢いることを心強く思う。今後共泡盛一筋に瑞穂酒造が邁進され、ご発展下さるようお祈り致します。」と述べた。
国際観光都K・Kの高良一社長は、
「只今の古渡蔵さんと全く同感であり、従来の30度ものでは世界的な商品としては成り立たない。古酒の味は実にうまく、私は30度ものは飲まない。古酒はだんだん知られてきている。飲み方なんだが、私は水と別々に飲めと常々言い聞かせている。ジンを飲むように、そして朝晩一杯づつ飲めと。食欲増進にもなるし、私は泡盛一辺党だが、先だって或る友人にナポレオンの容器に古酒を入れて飲ましたら、側にある古酒の容器に入っている酒よりこのナポレオンがいいと云う。だから質は確かによい訳だ。
容器の改善が今後の課題だと思う。1升瓶なんかは観光客も持ち運びに不便だから、小容器を開発していくべきだろう。玉那覇君は終戦後のテント小屋時代、すでに古酒づくりの話を私にしていたが、今日、2万石工場の完成があるのは、氏の情熱がしからしめた賜であり感無量である。2万石が20万石、100万石にも通じよう、世界の商品となるよう貴社が益々前進されんことを祈念する。」と述べた。
続いて大城源平農林漁業中央金庫理事長は、
「玉那覇有義社長とは県立第三中の同期の間柄ですが、私は玉那覇氏からひとつの物事に命をかける男の信念と云うものを学んだ。戦後、造り酒屋が多く、合成酒、混和酒と云う風にできましたが、玉那覇有義氏は一貫して古酒づくりに専念して、時代にマッチした製品に仕上げた。間もなく我が沖縄も日本国の経済に入るが、そうなれば本土からもいろいろな酒が入ってくるであろうし、しかし有義氏の執念をもってすれば本土市場獲保も可能となろう。やがては遠く北海道から九州まで全店で瑞穂が売られるだろうことを念願いたします。」と述べた。
以上のような各氏からの祝辞があり、続いて極東通信の山田社長から祝電が披露され、玉那覇有祥専務の閉会の宣言、玉城清義氏の音頭で万才三唱、斯界初の経営方針発表会は終了した。
2,500名、盛大パーティー
内外からおよそ2,500名の愛飲者、知名人、小売店代表、業界関係者を招いて開かれた瑞穂酒造の2万石工場完成披露パーティーは、この日、午後2時から首里末吉町の同社工場内で盛大に挙行された。
乾杯の音頭に立った当間重剛氏は、「今回、玉那覇君が2万石工場完成に踏み切ったのは、泡盛に自信を持ったからであり、そのことは、とりもなおさず同氏がこれまで歩んできた全情熱を泡盛一筋に注いできた賜である」と賞賛した。
稲嶺一郎参議院議員は、「最も親しい玉那覇有義氏の2万石工場落成祝賀会に同席し喜びに堪えない。先だって本土の方を接待した時に、何が欲しい聞いたら“泡盛が欲しい”と云うことでも“古酒”を差しあげたら、非常に喜んでいた。将来はパリで開かれる世界の博覧会に是非出品してはどうかと、本土の友人も話していたが、有義氏が実現されるよう望みたい。世界の桧舞台に出品することによって、泡盛の真価はもっと高められよう。」と激励した。
続いて祝辞に立った琉球酒造組合連合会の崎山起松会長は、「瑞穂酒造の2万石工場完成は、ひとり瑞穂酒造だけの喜びではなく、我々泡盛業者の喜びである。沖縄にはビール、ウイスキー等、数多くの酒類があるが、伝統に生きているのは泡盛だけである。泡盛の宣伝、育ての親である当間重剛先生には本土輸出にもいろいろ力を貸して貰いました。本日の2万石工場完成は、当間先生へのご思返しでもある。今後共泡盛をご愛飲下さるようお願いします。」と祝辞旁々愛飲者へのPRも忘れなかった。
この日は土曜日とあって、性急な飲んベぇもじっくり型と17時までの予定時刻もオーバー、余興も盛りだくさんのプログラムで夜遅くまで賑わった。
瑞穂酒造の1971年度経営方針の全文は「瑞穂酒造、1971年度経営方針(昭和46年4月29日)」を参照。