今回はウヰスキー業者を訪れてみることにした。とは言っても、ここ合資会社諸見里酒造工場(社長諸見里勇氏)の場合は乙類免許(泡盛造りの免許)で発足したメーカーである。1949年1月、具志川村現具志川市字喜屋武に父藩戸氏(1969年4月病没)によって設立されているのであるから、酒造歴としてはそう古くはない。
発足当初は泡盛“富士”のレッテルで発売され、次いて合成清酒菊止を造り、1953年頃から焼酎白鷺(しらさぎ)を醸造発売している。中部の二大メーカ―である諸見里酒造が急に頭角を現わし始めて来たのはその頃からである。
二代目現社長の勇氏は前社長蒲戸氏の二男であり蒲戸氏存命中は専務として販売面を担当し敏腕をふるい、車もない時代だから自転車にまたがって遠くは読谷まで、日中かき廻って苦労して来たという。
また、三男の清氏(当時専務で現在専務)も右腕として技術面を担当し、製品の品質向上、工場の設備等に日夜努力を重ねて来た人で、文字通り二人共血のにじみ出るような毎日をくり返して来たという努力家である。
その努力の積み重ねが1967年7月、沖縄で始めて品質にはうるさい在沖縄軍にも認められ、軍販売許可を与えられたといえよう。1953年といえば民営に移って4年目である。漸く民心が復興へ目覚め始めた頃であり、従って全琉の酒類メーカーもまだまだ昔の域から脱皮していない当時だ。
焼酎も“白鷺”は今もそうであるが当時の若い層には特に受けたようだ。舌ざわりがよく風味に“クセ”がないところから高級酒の飲めない時代にあって街の青年層はコーラで割って、或いはストレートで楽しんだ。
事実、カクテルで飲むと何らウイスキーと変わらない味である。記者が見聞する範囲内で判断すると、初心者?いわゆる一般社会人となり社交もする年令に達し、お酒もたしなむ頃になる人々は10人中、7~8人までが焼酎から始めている。
図にのった諸見里酒造はまさしく日の出の勢いである。業界は驚いた。それが警鐘となって業界が発奮し出したのもそこ頃からであり、その意味でも同社は業界の良き先駆者といえよう。
ちなみに当時の“白鷺”のシェアは全酒類の85%を占めていたというから、業界があわてたのも無理からぬ話ではある。1965年頃がピークで月収高2,200石という数字をみてもうなずける訳だ。現在でも月販高900石という勢いであるから、文字通り沖縄における酒類メーカーとしてはトップクラスであり、企業としても中堅クラスの部に入るだろう。
ここで父故蒲戸氏について少し触れてみたい。蒲戸氏は戦前首里の酒屋で丁稚奉公をしながら酒造りに興味を抱き、爾来(じらい)発酵技術を学び、その後酒販業に移り、去る大戦まで続いたというから酒造りに素人ではなかった訳だ。
オートメーション方式を採り入れたのも業界では氏が始めてであるように、絶えず技術の研鑽と合理化、そして絶えず先を読んだ氏は消費者所得の向上と嗜好の推移を考え、1967年5月、ウヰスキーをも発売するに至った。バッカー、ヘロンウィスキー(スカッチ)ジン、ホワイトリカー35と余勢を駆って次々とヒットを飛ばしたのである。
確固たる基盤はもうテコでも動かなくなった。同社の営業政策は絶えず積極戦法だが、何より楽もしいのは営業部長・諸見里政宏氏以下バイタリティに富んだ若者揃いがいるということである。
コザ市一帯のサロン街に“ヘロンママ”を何十軒も設け、ヘロンママ作戦を展開している。更に同社では近くカナデアンウヰスキー、本格的なラム酒も発売する予定だという。これ等はオランダのデ・カイバー社という世界的に有名な洋酒メーカーから今年の始め頃、技術提携の要請を受け、近々発売されるのであるが、復帰に備えての布石であろう。
その他にもリキュール酒(果実酒・ペパーミント・カカオ・スロージン・チェリー)、ブランデー等を発売予定で、その場合、本土市場を沖軍関係、一般消費者等への取り扱いは同社を経て行われるという。
何故世界的にも有名なオランダの大メーカーからも羨望され要請されるかとの答えは、同社に行けば簡単に解ける。蒸溜機がフランスのデュ・メル社の特許で日本蒸溜(株)の技術提携で作られたスーパーアロンスパス(フランス語で酒の不純物を特別に取り去るの意味)であり、洗びん機が、これまた世界的な技術水準の渋谷工業(株)そして酒の生命といわれる水の硬度が0.2というから要請されて当然ともいえよう。
今後甲、乙混和酒の発売も目前に控えている訳だが(1969年11月初旬発売予定)同社では“富士”“おもろ”の二種を計画している。
ともあれ同社は1969年7月に那覇営業所、10月には中部中之町営業所を設け市場は全琉にまたがっているが、問題は人口、十余万の消費都市那覇以南をどう攻略していくか品質本位、業界随一の資本力と若手バリバリの営業部長政宏氏が一枚加わったことで、那覇の洋酒業界もいよいよ混沌として来たのは事実であるが、諸見里酒造は今後共とどまる事なく市場を拡げていくことだろう。