逆湯で飲んではいけないよ ~泡盛を1杯飲んで“突撃取材”~ 

   

琉球泡盛も去る大戦では1大被害者である。首里の酒屋(造り酒屋のことを沖縄ではそう呼んでいる)などにあった酒は、大戦時の〝友軍″や防衛隊、民間人などによって〝盗み酒″されたり、アメリカーの爆撃によって壊滅している。2000_5_awamoriyomoyama_sakayu

首里の防空壕内で3か月も新聞づくりを続けたという大先輩記者の話でもそれは裏付けられる。泡盛を1盃グイッとひっかけて首里寒川あたりに突撃取材に出かけて行ったという。

また、私の1番上の兄も防衛隊として慣れないテッポウを担いで南部の激戦地を仲間と一緒にさまよい、あまりの弾雨の激しさにテッポウを投げ捨てて、這這の体(ほうほうのてい)で自分の生まれ故郷ヤンバルまで逃げ帰っているが、幾日もかけて命からがらの道すがら勇気を奮いたたせたのは1升びんの泡盛であった、と語っている。これも首里の酒屋からの〝盗み酒″だったに違いない。

沖縄の方言に〝くすいじ″という表現があるが、ま、直訳すれば糞意地となるが、泡盛を飲むと度胸が据わるという意味であろう。かくして戦前のわが琉球泡盛は壊滅したのであるが、奇跡的に〝命″が助かった泡盛も中にはあったのである。

敗戦から再出発した泡盛は、いろんな曲折を経て今日に至っているのであるが、今の消費者を眺めていると99%が水割り、オンザロックで飲んでいるのは頼もしく実に嬉しい。しかし、明治時代の古い文献には、琉球人は古くから寒い時期にはお湯で割って飲む習慣があり、それで暖をとった。それを湯酒(たうちゅう)と云ふ、とある。

見聞録みたいな書物であるが、昔からわが先人は生活の知恵として春夏秋冬その飲み方を弁えていたので、その古い習慣は何もお隣県の専売特許ではなかったのである。泡盛の歴史が100年も先だったように、その飲み方もわが琉球のほうがはるかに先輩だったのかもしれない。

今から30年近くも前の事であるが、辻町のとあるおでん屋で友人と2人で寒い夜に、コップに泡盛を注いでからそれにお湯を入れて飲んでいると、隣のおばあさんから声をかけられた。

「イェー ニーセーター サキヤアンシヌムルムヌヤアランシガ」

と窘(たし)められた。その意味は「おい若い衆よ、泡盛酒はそんな飲み方をしてはいけませんよ」となる。そして話を次いでこうおっしゃった。

「こういう飲み方は〝サカユ″(逆湯)と言って昔から斎きらわれているのですよ、先ずはじめにお湯を注いでからお酒を注ぐのが道理なんですよ」

と諭されたのである。聞けばこのおばあさん、昔のチージ(辻町の遊郭)上がりというお方であった。以来、友人と私は寒い季節になるとこのご高説を守り続けている。

よくよく考えてみるにお湯を先に入れ、それに泡盛を注ぐと下側の熱いお湯が〝後輩″の冷たい泡盛を押し上げ、手を加えず自然にいい塩梅に仲良く溶け合うのである。水割りやオンザロックなどのように、必ず〝耳かき″でホステスにガチャガチャと面倒くさいことをさせなくても済むのであるから合理的だといえる。先人は偉いと思うのであるが、読者諸賢はどうお考えだろうか。

ま、ガチャガチャもまた酔人のセレモニーのひとつと言われると私には返事がない。要するに泡盛はどう飲もうが自分に合うスタイルで飲むに限るということではあるが…。

いささか老婆心じみてきて読者に礼を失してはいけない。ただ私の長い愛飲歴の中での体験のひとつを記してみただけの話である。琉球泡盛は歴史が古いだけにその味わい方と共に奥が深いことを銘肝したい。

2000年5月号掲載

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