敗戦直後はタリジャキ時代 ~味が濃厚で少々の原料臭が~

   

私の酒泡盛との出会いは古い。 小学校の低学年時代、父は年に2~3回ほどマチヤグヮー(雑貨店)に酒買いに行かせるのであったが、宵の帰り道椰子とそっくりのフタを開けて嗅ぐのがたまらなく好きだった。1999_05_awamoriyomoyama_tarijyaki

貧農だった父はカネがなかったから2合は入るとっくりの半分かそれ以下の量しか買えなかった。それも正月とお盆ぐらいであった。たった5酌くらいの酒を飲んだ父はよく愛用のサンシンを弾きながら歌った。そんな時、母によく「グサークジャキヌリニンゴーウイヒチ」とからかわれていた。つまり、たった5酌の酒を飲んで、2合酔いしよって、という意味である。ゼニのない父にとってはそれで精いっぱいの憂さ晴らしであったのであろう。 その父の戒めは亡くなるまで、「征幸、酒は程度だよ」だった。だが、その愚息はこの父の教訓に背き毎晩ソウグヮチ(正月)である。

去る大東亜戦争の敗戦時、私は14歳だったが、その当時はどこでもタリジャキ(自家用酒=今でいう密造酒)が流行った。正月ともなると我等悪童共は各家庭で造られたタリジャキを2合びんに詰めて持ち寄り、味比べをしたものである。高校に入学する頃にはいっぱしの〝泡盛党″になっていたのだから、大変な不良だったといえる。

かくして私の〝泡盛人生″は始まるのであるが、その話はいずれ書きたい。 それはともかくとして、敗戦から長らく経っても琉球泡盛は臭くて不味かった。成人して職に就いた頃も臭かった。これをどう消すかが飲み助のジンブン勝負であった。その頃あったベストソーダー、ミッションコーラ、ボンコーラー、ミスターコーラー割りで飲むのが上等だった。

特にベストソーダーのクリーム割りはうまかった。これら島産品は1本5セントだったがコカコーラは倍もしたから、とても手が届かなかった。 これ等甘味にも飽き飽きしていた或る宵、行きつけのおでん屋で照屋朝敏という先輩から飲み方を教えられた。つまり、〝泡盛を注いだ1合コップにきゅうりを輪切りにして2枚入れて、5分間位手のひらで覆うておけ″というのである。

即実行してみたらどうだろう、臭みがきれいに無くなっているではないか。その時以来毎晩この飲み方を通してきたのであるが、これもそう長くは続かなかった。臭いは取れるが味が少し淡白になるような気がしたからだ。泡盛は少々原料臭があって、味が濃厚でなければ、私は飲んでいて気がおちつかない。

1999年5月号掲載  

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