醸界風土記① ラム酒(昭和44年5月17日)

   

毎号此の欄は1業種つつ招介していく企画だが最初にとりあげたのがラム酒。 ラム酒と云えばすぐに頭に浮かんでくるのが漫画絵本や洋画に出てくる海賊どもがラツパ飲みしているあの絵を想像するぐらい吾々にはなじみ深い酒ではあるが、飲み心地とか味になると案外知らない方が多いらしい。 001-01-cyozouko

ラム酒はインド諸島、ジヤマイカ、キユーバ、フイリツピン、プエルトリコ等が主な産地で、特にキユーバの「バカーデイ」と言う酒が世界的に有名。 主原料が糖蜜で出来るので砂糖の産地がラム酒造りの条件になるらしい。 プエルトリコになると第二次大戦中ラム工業で国家経済を立て直したと云われる位である。

ラム酒とはウヰスキー、ブランデー、ジン、ラムと洋酒の四種の一つである。 ここ、牧港の1号線から大謝名に向って1寸右側に入って行った所にヘリオス酒造株式会社(社長、宮本正氏)がある。

沖縄で唯一のラム酒メーカーである。資本金2万5千ドル、工場敷地坪数250坪、建坪数72坪で従業員数五名の家内工業的規模ではあるが、ここの社長宮本氏(急性松田)は文字通り「ラム酒にとりつかれた男」と言う形容がぴったりの男で、ラム酒に限らず酒の名のつくもの、味の名のつくものについては、おそらく此の人の右に出るものはいないのではないかと思われる位の博識家でもある。 大正13年、横浜で岩井製油と言う小さな町工場に入ってゴマ油製造を手がけて以来、製造業に興味を覚え、昭和17年に沖縄に帰り、那覇市久茂地で球陽農産加工場を設立し、ここでシークワーサーの皮で黒糖ジャムを製造、軍需省に納入し、大当たりしたと云う。

しかしその工場も去る大戦で灰じんと化した。終戦直後、糸満地方庁の産業課長時代、軍の許可を得て糸満で始めて酒を造って住民から嬉ばれた由。

1957年1月、崇元寺でヘリオスラムを造り始め61年現在地に移り操業、以来10余年、ラム造り一筋で生きて来た男である。 本土では年間16万~17万リツターのモルトを必要としており、ラムの市場は無限にある訳で、現に過去において京橋の明治屋本社の貿易部を通じて年間2万ドル余の輸出をした実績ももっている。 今後は本格的に輸出面に力を入れていく態勢を整えつつある。

貯蔵期間は最低3ケ年で、4~5年ものが一番よいと云う。

ラムの使途は多様にあってケーキ、チヨコレート類の製菓用として、又、たばこの呑料としても重宝がられているのであるが、いかんせん5五千~6千リツターの現地の工場能力では間に合わぬらしい。 しかし現在工場設備も完成しつつあり、熟成した原酒も多景に保有しており、1970年の5、6月頃からはフル操業に入ることだろう。

現在、コザや、波之上一帯で外人客には特に人気がある由。 コーラで割つて飲む謂ゆるラムコクと云って指名すると云う。販売している製品は1.9リツター入りと、720ミリリツトルの2種類で720ミリリツトル入りが卸で1ドル70セント。  

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