-備忘録-②-(1)(平成25年8月17日)

  • [公開・発行日] 2013/08/17
    [ 最終更新日 ] 2015/09/27
   

創刊45周年を顧みて・・・

前号では龍泉酒造から瑞穂酒造の故玉那覇有義まで6人の思い出を書いてきた。今号はその②として宮本正(松田に改正)から順に書いていく。小紙の創刊号は1969年5月17日であるが、当初は醸界ニュースのタイトルだった。それの一面に「醸界風土記」という2段通しのコラムがある。タブロイド4頁建ての創刊号である。それに「ラム酒」を紹介している。沖縄でラム酒といえばヘリオス酒造株式会社(松田亮社長・・・名護市許田)である。

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米国民政府の弁務官たちも視察。右側と円内写真は故松田社長

先見の明があった宮本さん

創業が1961年8月18日で宮本正である。氏の生まれは今帰仁村である。44年前にラム酒を取材した時には浦添市の港川在であった。当時(戦前)は那覇市美栄橋で創業、戦後は崇元寺に小さな工場を構え、シークヮーサーでジャム等を手がけ、一方ではラム酒づくりを始めている。それから浦添へ工場を移している。その頃までは宮本姓であった。その頃の工場は小さく杜氏は1人で宮本と2人か3人だけ。記者が訪れた浦添の工場の横の自宅には奥さんと2人きりであった。ちょうど昼めし時で記者もごちそうになった憶えがある。「風土記」の取材で宮本は立板に水で述べている。

洋酒の4大基教えられた記者

「仲村君、洋酒の4大基酒を君は知っているか?ラム酒、ウイスキー、ブランデー、ジンだ。」「僕は大正13年、横浜で岩井製油という小さな町工場でゴマ油製造を手がけて以来製造業に興味を覚え、昭和17年に沖縄に帰り、那覇市久茂地で球陽農産加工場を設立して、ここでシークヮーサーの皮で黒糖ジャムを製造、軍需省に納入して大当たりをしたよ。しかしその工場も去る大戦で灰じんに化した。敗戦直後糸満地方庁の産業課長時代、軍(米軍)の許可を得て、糸満で初めて泡盛を造って住民から喜ばれたよ。

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40年余になるヘリオスのラム酒

1957年1月崇元寺でヘリオスラムを造り始め、61年に現在地に移り創業以来十余年ラム造り一筋だよ。本土では年間16万~17万リットルのモルトを必要としており、ラムの市場は無限にある訳で、現に京橋の明治屋本社の貿易部を通じて年間2万ドル余の輸出をした実績を持っている。今後は本格的に輸出面に力を入れていく態勢を整えつつある。

貯蔵期間は最低3カ年で、4、5年ものが一番いい。ラムの使途は多様にあってケーキ、チョコレート類の製菓用として、またたばこの香料としても重宝がられているのであるが、いかんせん5000~6000リッターの現在の工場能力では間に合わない。現在工場設備も完成しつつあり、熟成した原酒も多量に保有しており、1970年、6月頃からはフル操業に入ることだろう。」これがラム酒づくりに生きる男の心意気である。浦添の工場には記者は度々おじゃました。ラム酒飲むのもひとつだったが、記者には「わが醸界ニュース」の酒造りやその基礎知識を学記者の師であった。独学で、負けん気のわが恩師宮本は白紙全面が真っ黒くなるほど鉛筆で専門用語を何十回も書きなぐった筆跡を見せられた時、絶句した憶えがあるのも昨日今日のようにはっきりと脳裡にきざみこまれている。1960年発行の「にほん醸造協会雑誌」を下されたのも此の人である。現在我が書棚に大切に保管されている。此の中にはわが琉球泡盛には縁の深い滝の川の醸造試験所の村上英也所長や野白喜久雄氏の文献も見える。インタビュー中側でジーっと聞いていた奥さんの姿が印象深く残っている。話の途中で何度もうちの亮君は、亮君がとくり返して居たのは、いかに長男に期待していたかを垣間見る思いだった。

当時は宮本家は貧乏だった

その時期は現在の松田亮社長は琉球大学農芸化学科の学生であった。ラム酒の売れ行きも芳しくない時代、宮本家は貧乏だったであろう。この男自慢の長男亮社長は親父の期待に背かず昭和55年12月に同社の代表取締役となり、平成10年6月沖縄県北部酒造組合理事長、平成24年9月酒造協同組合古酒の郷理事長に就任している。ヘリオスは製造酒類の酒類は斯業界に優れて多く、リキュール13酒類、地ビール20種、ウコン3、もろみ酢6、薬味酒8種、ハブ酒8、その中で一番の売れ筋商品は「古酒くら」・「轟」だ。地ビールを開発したのも泡盛業界で唯一だ。創業間もない頃のヘリオスのラム酒を宮本社長から買い求めたが飲まずに記者の酒棚にそのまま置いてあるが当時は真っ白だったラム酒が40余年経った今では黄金色になっている。宮本社長が病に伏しているという情報が入り、名護市字許田の現工場と兼社屋隣りの自宅に首里物産の宇根底講順社長と2人お見舞いに行ったのであるが、残念ながら出て来た親族の方から今さっき亡くなりました。と言われ2人涙を流した憶えがある。1977年11月19日であった。享年74歳。

追伸・・・会葬広告に友人代表にといわれ宇根底社長と2人名を連ねた。

ヘリオスとギリシャ神話の太陽神の意
現工場の東側の屋内には何百樽ものヘリオスの原酒が貯蔵されている。酒徒の皆さんには是非見学をおすすめしたい。

宮本正の心意気に佐藤東男が注目

佐藤東男2代目沖縄国税事務所長は着任早々琉球泡盛に深い関心を持つ方で、わが琉球泡盛育成に多大な貢献を尽くされた人だ。この人は定例記者会見の終わりはいつも必ず「皆さん、北部に行かれる時には是非名護の許田にあるヘリオス酒造のラム酒を見て下さいね」と言っていた方だった。

ヘリオス酒造の前途は洋々たるものだ。
(文中敬称略)
平成25年8月17日掲載記事

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