書き続けて100回~小櫻でささやかに乾盃するか~

   

awamori_yomoyama_98_contributed-memorial-100-times_kozakura-story国際通りの牧志交番所横からちょっと入った所の左側に、小料理店「小櫻」がある。つまりグランドオリオンの真後になる。この通り名を“龍宮通り”と称している。この店は、今年で開店52年にもなり、沖縄では最も古い老舗である。

私がここに通い始めてもう何年になろうか、随分昔のような所である。アマは奄美大島出身の方(おっかさんのことを奄美の方言ではそう呼ぶ)で、気さくな人だ。この店にヨッと言って入ると心身共に安らぎを感じ、アマとのジョークが始まる。

そして私の一番好きなソーミンチャンプルーをオーダーするが、これまたアマのティーアンダが交じり、泡盛と良く合う。要するにアジクーターだ。小楼のナンバーワン人気メニューで次いでスーチカー、ミソピー(奄美の油味噌)だ。

2年前首里グランドキヤッスルホテルで開店50周年記念パーティーが催されたが、その時の来客が何と500余人で、大ホールから溢れ出る盛況さであった。アマの中山フミエさんが今年84歳、長男の二代目孝一さんが54歳、それに嫁さんが店のスタッフだが、今でこそヤマトゥンチュとウチナンチュウ半々位で毎晩賑わい繁昌しているが、開店当初から順風満帆では決してなかった。

住む家も無く、主人と一家族は店の片隅での寝泊り生活であった。主人が病で亡くなり親子は更に苦しくなっていった。が、ここがこの親子の弛(たゆ)まぬ努力であった。汗水流してがむしゃらに働き続けた。それが今ではよそから尊敬もされ、店の繁盛にも繋がっているわけだ。

アマの肩から両腕は鋼鉄のように堅い。それで居て病知らずと来ているから、アマはすごい人だ、と常々私は思っている。しかし、このアマも長男の孝一さん夫婦に店を任せ、もう引退した。長男嫁の伊津子さんがしっかり者で安心して毎日を過ごしている。それに夫婦の長女も高校二年生になった。

二代目孝一さんは、大阪の大学を卒業して、10年は一家共々大阪に住んで居た。それから沖縄に帰り現業を営んでいる。オリオンビールは勿論泡盛も殆(ほとん)どの銘柄があるが、この店は720mlではなく600mlボトルだけ(1本、2,400円)である。2階のタタミの間に12人席、1階のカウンター席が11人座れる。午後6時~11時まで。

「泡盛よもやま話」の連載もこの号で100回の連載となる。本誌の当時の編集長、田崎さんに栄町の「うりずん」2階で、泡盛の取材を受けて美酔していたら、田崎さんに小誌に毎号1頁位いでいいから泡盛の話を面白おかしく書いて見ませんか、と誘われて始めたのである。

しかし同じもの書き仲間の雑誌でも、毎月1,500字となると自分の新聞のこともあり、ナンギである。それで1、2回止むなくパスしたこともあった。因果な商売である。安請けした結果だから、これもまた致し方なし、とするか。

1999年(平成11年)の1月号に「島酒天国」という大見出して書いたのが始まりだから、8年も前になる。泡盛居酒屋にはそれぞれ特徴があるものだが、ここ小櫻での売れ筋は大宜味村田嘉里の「マルタ泡盛」、伊良部町の「宮の華」、石垣市大川の「白百合」、東風平町の「南光」、久米島の米島酒造の「久米島」が人気銘柄である。

一晩でカラカラーの10杯分も売れているそうだ。「有名な銘柄はどこでもいつでも飲めるから」というのがお客さんの声だと孝一マスターは語っている。この傾向は4~5年位前からだそうだ。

ここは場所的にも申し分のない所だ。何しろ目と鼻の先に交番所があり、市外線バス停もすぐ近くにある。非番の日には、たまに所長も顔を見せて一緒に飲みながら雑談をする。しかし、この龍宮通りも以前のような賑やかさはない。立ち退きやら客足が遠のき廃業していく業者も多く見受けられ、何ともさびしい。

ま、こういう現象はここに限らず、櫻坂あたりも似たようなものである。ともあれ小紙醸界飲料新聞も編集発行しながら同業異誌に毎号1,500字の原稿を100回も続けて書いてきた。更にこれから先も続けて書いていきたい。

100回記念号に寄稿するに当たり、意を強く持して「泡盛よもやま話」を続けていきたい。小櫻で独りでささやかにカンパイでもするか。

2007年4月号掲載

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