『信用は無形の資本なり』~波乱万丈の渡口彦一おやじ逝く~

   

「昭和13年6月15日、泡盛をぶら下げて遠く今帰仁村字謝名へ嫁をもらいに行った」・・・。awamori_yomoyama_87_toguchi-hikoichi-storyこれは人生波乱万丈に富んだ渡口彦一おやじが73歳のお祝いに『万年筆と共に歩んだ50年』という自叙伝の中に記した一文である。

当日は三重城のパシフィックホテル沖縄に約600人からの招待客で盛大なお祝いをしたのであったが、その多くの招待者の中で、祝辞を述べていた字備瀬の後輩の1人のお祝い客の言葉が実に印象深く残っている。

曰く「セイネンヌナゲーナヤー」。直訳すると「万年青年」という意味が含まれていて、実に当意即妙であった。つまり73歳になっても万年筆のように老いること知らず若々しいご仁だ、となろう。ことほど左様に古希(沖縄では73歳)を迎えて尚青年の如き立居振舞いたるや全く「セイネンヌナゲーナヤー」そのものであった。

桜坂スズメの間では“桜坂の次郎長”であった。この2メートルになんなんとする大男はバーで酔っ払って他の客に迷惑をかけているのを見ると、片手で相手の襟首を引っつかまえて外に引き出していたり武勇伝も多かった。

背丈は私の倍近くもあって、鼻は鷲の如くとんがっていて、一見寄りつけない感じの持ち主だった。が、性根はすこぶるやさしく、泡盛を酌み交わすと相手を離さなかった。笑顔を絶やさず話題が豊富であった。

泡盛同好会の例会ではいつも“乾盃男”で通した。自叙伝によると、若くしてフィリピンに渡り麻山畑で1日10時間以上も働き通しだった。「そんな或る日、わがふるさと沖縄の父と兄から万年筆が送られてきて」、これがおやじの万年筆との出会いだった。それで商売を始めたのである。

昭和9年(1928年)の7月の或る日のこと、ダバオ(フィリピンの都市)からカリナン耕地へ万年筆入りのカバンを自転車に乗せて行った所、途中スコールで服もびしょぬれになりながら密林の奥地ヘ進んで行くと、蛮族と恐れられているモー口族やバゴボ族の部落へと見えない糸に引かれるように進んでしまったという。

密林の細くて暗い小道に立ちすくんで、これで自分の人生も終わりかと、半ばヤケになっている所へ蛮族たちが現れた。20~30人もの蛮族たちは手に蛮刀を振りかざしながら何か叫んでおやじを取り囲んで威嚇している。

そして罵声と共に蛮刀がまさに振り落とされるその瞬間、とっさに誰かがおやじをかばうように飛びついてきた。我にかえってその男をよく見るとビサヤ族のアン卜ニオというバゴボ族の酋長の娘婿であった。

このアントニオ青年と渡口おやじとは以前に一緒に働いたインテリ男であった。私はこの自叙伝を読んで、渡口のおやじの度胸のよさはこのあたりから育まれたのではなかろうか、とも思う。

今ひとつは本部町字備瀬人のもって生まれた気質であろうと、ひとりでに考えている。私は渡口彦一おやじとは生前よく泡盛を酌み交わした若輩の1人であるが、他にもこの大先輩の武勇伝を多く聞かされもした。

沖縄県泡盛同好会の発足30周年記念誌を生前に持参してお見せできなかったことは返す返すも残念である。

去る2006年9月11日午前9時55分、96歳の人生を閉じた。9月13日(水)午後2時から3時大典寺で葬儀が行われ、多くの弔問客に見送られ黄泉の人となった。平和通りの渡口万年筆店が全盛時はよく、長男の彦邦さんを連れて各マスコミを訪問、渡口万年筆を売り込んでいたのも昨日のようである。

73歳のセイネン祝いに戴いた渡口万年筆のネーム入り万年筆は、今も私の原稿用紙になめらかな字を書かせてくれている。今から23年も前のことである。

鷲鼻でノッポおやじは今頃はきっと大好きな先輩や後輩たちの先に逝った泡盛同好会員の皆様方と一緒になって泡盛クースを飲み明かしていることであろう。いや待てよ、向こうにも取っておきのクースジャキがあったかな?いや、あったことにしよう。

「信用は無形の資本なり」がおやじの座右の銘であった。渡口万年筆店は長男の彦邦さんがしっかりと守り育てている。「いちゃりばちょうで、琉球人の魂こそ萬国の文化を融和し、多様の寛容と守禮の民は21世紀の人類を救う!!」長男彦邦さんの今年の年賀状の一節である。おやじに劣らずの泡盛同好会員である。彦一おやじ、安らかにお眠り下さい。合掌。

2006年5月号掲載

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