久しぶりなつかしの沖縄~すさまじい仲村氏の情念~

   
S氏の玉稿

昨年の11月、所用あって懐かしの沖縄を訪れた。海は相変わらずキレイであり、街なかの風情も昔のままに見えた。加えて、かつての同僚・知己の面々の私に対する友情の温かさには頭の下がる思いで、沖縄に勤務した、かの日のことが昨日のことのように懐かしく思い出された。

沖縄滞在は5日間であった。その間の某日、或る飲み屋で醸界飲料新聞の仲村氏と偶然出会った。『なつかしの再会』である。醸界飲料新聞には、かつて泡盛についての私の拙文を再三度採り上げて貰ったことがある。

また、仲村氏とは泡盛同好会の発足当時、会を通じて知り合った間柄である。そして、後には、泡盛党ということで赤ちょうちんを一緒に飲みまわる程懇意になっていた。

私は『いざ一献』と彼に近寄った。彼は私の手元をみていたが、ものも言わずにプイと席を立った。そして再び帰ってこなかった。私は不覚にも、そのとき泡盛でなく他の酒類を手にしていたのである。

『泡盛党以外とは席を同じくしない』という彼の信条が、唐突ともいえるこの行為に駆り立てたものであろう。そして久しぶりに沖縄を訪れた遠来の友といえども例外ではなかった。

私は、そこに彼の凄まじいまでの泡盛に対する情念をみた思いがした。翌日、彼は言った。『あのような別れ方はしたくなかったが・・・』と。

因みに、彼、仲村氏は泡盛同好会発足当時からのマネージャー的存在である。『もし、彼の寝食を忘れての働きがなかったら、今日の会の隆盛はなかったであろう』と私は考えている。

この彼が春4月に熊本を訪れるという。私は今から首を長くして待っているのである(原文のまま)。

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この玉稿は前号(2004年10月)でも触れたように昭和54年4月25日付の小紙第51号の4面に掲載されている同氏の記事である。今から26年も前の昔のことであるから、最早や、時効が成立しているであろうから同氏も寛容してくれると思う。

その同氏とは昭和49年7月から昭和50年7月まで沖縄国税事務所の第2代目主任鑑定官であった志垣邦雄さんである(沖縄国税事務所関税課調べ)。その彼との付き合いの中ではいろんな思い出がある。

あの頃、沖縄県泡盛同好会も発足間もなく、確か第3回例会の時だったと思うが、当時は那覇市久米町の琉球商工会議所2階ホールで開催したのであるが、志垣さんにお願いをして約15分くらいの泡盛講話をお願いした。

志垣さんは一生懸命造りについて話をしたのであったが、ものの5分も過ぎたであろう頃から会場内から盛んにヤジが飛んできた。「ヤミトーケー」と言う罵声である。君の言っている事は吾々はとっくに知っているから止めておけというのである。

しどろもどろしている志垣さんはすぐ横に立っている私に視線を投げ、どうしたものかという真ッ赤な顔である。私はさっと近寄って彼の耳にささやいた。「仕方ないさー志垣さん、彼たちは知ったかぶりをしているが、実は何も知ってはいませんが、酔っ払っているに過ぎませんよ。しかし、今晩は止めにしましようや」。

あの時のホッとした志垣さんの顔つきは今でも鮮明におぼえている。彼の「玉稿」にもあるように、私は春4月に熊本市清水町山室に新築したという彼のご自宅を訪問する約束を未だに果さずに今日に至っている。

首を長くして待っている彼の人情に誠にもって失礼している自分に恥入るばかりである。きっと彼は球磨川の清流で醸した球磨焼酎の年代ものと名物の馬刺しで小生を歓待したかったであろう。

いずれの日か健康である間に再会を果し、彼の人なっこい笑顔を見ながらクースを酌み交わしたいと考えている。

2004年11月号掲載

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