妻に対する暗黙の求愛~ミーリンチュー欲する晩は~

   

ご存じであろうか?ミーリンチューのことを。

awamori_yomoyama_54_yaeyama_yonaguni_mirin_syu八重山石垣市でも今では殆ど造り手は居ない。私は過去に宮良に居るという話を聞いて部落を訪ね歩いたことがあるが、探せなかった。

現在、唯一その昔の風習が受け継がれているのは与那国である。其處(そこ)では今でも祝い事や祭りなどの時に造り、家庭で愛飲されている。

早い話が泡盛に餅を漬け発酵させて出来る甘くてトローリとしたおいしい栄養飲料のことである。

今から21年前、1982年1月25日付小紙のコラム〝カビモチの威力″の小見出しで「八重山地方の昔ばなし」が面白く紹介されている。

「昔、貧乏人と金持ちが1日中野良仕事をしてどちらが長く働けるかカケをしました。勿論勝負を挑んだのは金持ちの人でした。

強がりを言ったものの貧乏人は家に食べ物がありませんでした。あるものはたった1個のカビの生えた餅だけでした。

貧乏人はこのモチを壷に入れ水を加えて畑に持って行きました。そして腹が減るとこれを少しづつ食べてまた働きました。片やお金持ちの人はうまい味噌汁と純白の米めしをモリモリと食べました。

しかし勝負は貧乏人の勝ちでした。カビの生えたモチは壷の中で自然発酵してムルン(もろみ)となり、このほうがずーっと腹モチ(編集者の駄洒落)したからだそうです」

これには続編がつく。〝セックス要求の酒″の小見出しで

「また、後年穀物も豊かになり各家庭でもモチ米が食べられる頃には泡盛も飲めるようになり、カビ餅に少し泡盛を入れて壷に貯えることをおぼえました。

モチ米の甘みと泡盛が壷の中でうまく溶け合い、琥珀色のおいしい飲料が出来ました。八重山ではこれをミーリンチュー(味醂酎?)と呼んでいます。

このルーツは与那国だともいわれております。

一説によりますと、野良仕事から帰って来た夫がミーリンチューを欲する晩は妻に対する暗黙の求愛であったそうです」

さて…、月間「現代農業」の貝原浩記者が同誌1989年8月号に掲載した与那国ルポによるとミーリンチューの造り方を次のように紹介している。

「先ず、もち米の粉をゆがいたのを団子にして熱湯に入れ、団子が浮いてきたら取り出して木綿布できつく固め、団子に米粉をまぶしながら円すい形のお供えをつくる(必ず1対つくる)。

祭りの2、3日後もちをぬれた木綿布にほぐし布でくるむ。3日ほど経つと黄色いこうじが付いている。

団子と同量の30度の泡盛を甕の中に入れ、よくもみほぐし密封して置く。2、3日経てからふたを開けよくかき回して又密封して置くと20日間位で甘い酒となる」

まあ、ざっとこうなるのであるが、そもそも何故こういう飲み物が出来ることになったのか。

その来歴は偶然からの産物ではなかったろうか。

前出のむかしばなしにもあるように、百姓たちがようやく粟や稲などの穀物栽培ができる頃になってくると、モチ米で餅を造るジンブンも生まれ、それ等穀物でアワモリも造るようになってきた。

祭りや法事に仏壇にもちやアワモリも供えるように少しずつクラシムチが豊かになってきた。下げ忘れたモチに青カビが生え仕方なくグシ(酒=泡盛)にでも漬けて置いてみるかと。

つまり、これが後日飲んでみたらなんともいえないうまい味になっていた。

とまあ想像してみるのもまた愉快でユメがある。私もこの黄金色の液体を何度か飲む機会に恵まれた。全くの無添加物だが、もちの自然の甘みと泡盛と調和した芳しい味は神秘的でさえある。

元々は偶然の産物であったろうミーリンチューは、その地域だけの土着文化として未来永劫に遺して欲しい健康飲料である。

2003年6月号掲載

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