泡盛は前進への栄養剤大酒飲みにされた呉屋さん【2008年4月掲載】

   

泡盛は前進への栄養剤大酒飲みにされた呉屋さん【前号の続き】

「味についてもうーつ難をいえば、いも焼酎と似たような味、多少腐敗しかかったような味などもほんとの泡盛じゃなく品質を合わせて造っていくのが業界の姿勢だと思いますが、夏場など泡盛がはるかに冷酒よりよいし、お湯割りなどはまた格別です」。
沖縄県工業連合会会長 呉屋秀信「私の酒歴はかれこれ 25年になろうか。もちろん泡盛一辺倒
泡盛のことを一言でいえば、〝郷土の香り〟といつところだな。

私は毎晩五合位は飲んでいますが、最近の味は貯蔵しているので、だんだん昔の香りが出てきている。おいしいから飲むのであって無理して飲むんじゃないんです。本土など旅先から帰って来るとすぐその晩は必ず泡盛を飲んでくつろぐんです。それを飲んで初めてしみじみと、我が家に帰った気がする。また仕事あがりに会社の若い従業員と一緒にひざ付き合わせて飲んでいるが、その場でいろんな意見も聞けるし前進への栄養剤ともなり、一石二鳥とはまさにそのことでしょうね。旅に出る時や、沖縄に見えるお客さんや知人などには古酒の壷をおみやげに進呈しているが、なかなか重宝がられ喜ばれております。
うまい泡盛を飲むんだから酒の上での失敗は一度もない。私の酒に処す心がまえは飲んでも翌日あやまらない飲み方、つまりゆうべはどうも飲み過ぎてわからなかった。失礼しました等とは言わないような、酒に飲まれないようにしたいということですね。残念なのは沖縄のどこのパーティーに出てみても泡盛がない。沖縄県工業連合会でも今後はあらゆる宴席に出させるようにしていきたい。沖縄県の人は誇りをもって飲んで欲しいと思います。県産品でもあるし、もっと郷土を大切にしたいものです」。

前号から今号まで二回にわたってお歴々の琉球泡盛に対する情熱をご紹介したのであるが、三者三様の熱愛ぶりにはただただ頭が下がる。中でも呉屋秀信さんは私が泡盛同好会なるものを発足させた時に、是非会長にと壷川の会社金秀本社の社長室を訪ね、懇願したのであるが、中村君、僕よりもエライ人が居るからと断られたいきさつがあった。
私は止む無く、貴殿が一番会長にはふさわしいんですが、と言ってその席を辞したのであるが、どうしても腑に落ちず考え込んでしまった。あっそうだ、それでは高良ピンさんこと一(はじめ)の会社に寄ろうと当時琉球商工会議所(那覇市久米町)の二階にあった沖縄国際観光都株式会社を訪ねた。おおようにかまえているピンさんに事のいきさつを話した。第一回目の沖縄県泡盛同好会の発足の日時と場所はすでに予約してあるが、かんじんの会長が未だ決まらない旨説明するとピンさんが言った一言は未だ私の頭にハッキリと残っている。「アチュミティンマーニ」であった。「オージャーニイセーグヮー」。「こんな青二才の男がどれ位いのことができるか」と私には聞こえた。いや、解釈した。

しかし、日時は切羽詰まっている。ここで私なりの解釈をしたってつまらない、と考え発足当日を待った。どっこい予想以上に人数が集まり盛会裡に事は運んだのであった。それにしても、〝大物〟はさすがに違う。会は始まろうとしているが、肝心の会長候補が未だ来ない。
ヤキモキしている所へ吾等のピンさんがいつものスタイルで右手をスーツのポケットにつっ込んで現れたのであった。乾杯の音頭を取った呉屋秀信さん(後年泡盛同好会長)は「醸界飲料新聞の仲村君に毎晩泡盛を五合位は飲んでいるよ、と言ったら毎晩一升飲んでいると書かれて、すっかり大酒飲みにさせられてしまいました」とやり、会場をドッと沸かせた。それも昨日の出来事のようだが、あれから既に40年にもなるのだからやはり光陰矢の如しで、月日の経つのはやはりウマヌハインネーですなあ。
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