直彦さんはジンブナー マタマジュンヌマヤー【2008年2月掲載】

   

直彦さんはジンブナー マタマジュンヌマヤー【前号の続き】
上原「『酒飲でぃん八十、飲まんてぃん八十、酒飲でぃぬ八十マシやあらに』(酒を飲んでの八十歳と、飲まずに迎える八十歳なら、飲んで八十歳の方がいいじゃないか)という琉歌がありますが、仲村さんはどうお思いになりますか?」
仲村「『飲まんてぃん(飲まなくて)八十」がいいですよ」。
上原「ウンジュ(あなた)、それだけ飲んでいらっしゃって、醸界飲料新聞なんて出されているのに、飲まない方がいいとおっしゃるのですかっ?」
仲村「私の信念ですね」。
上原「(笑い)どういうことなんですか、それは?」
仲村「もろもろの失敗をしてきた過去がありましてですね。酒に自分が全てを奪われてしまう。私なんだけど、私でなくもう一人の仲村がいるよ」。
上原「ラジオをお聞きの皆さん。この方はいま、変化球を投げているんですよ。では、現在飲んでらつしゃいませんか?」
仲村「飲んでますよ。私が飲まないとこの新聞潰れますからね(笑い)」
上原「要するに、飲み方を心得なさいと。長年飲んで現在も飲んでいらっしゃる経験者からすれば、酒というのは薬にもなる、毒にもなる。『酒の罪』と言いますけど、酒に罪はないんですな」。
仲村「毛頭ないですな」。
上原「もう一回聞きます、酒も全くやらない八十、多少は嗜む八十、どっちがいいですか?」
仲村「ええ、マシやあらに(いいんじゃないのか)?」
上原「どっちが?」
仲村「前も後ろも」
上原「そうか(笑い)。その時々違いますからね。お酒を飲んでいいチム(気持ち)になるときもあるし、ヤナチム(悪い気持ち)になるときもあるし」。
仲村「酒を飲んでアビヤーアアビヤー(口論)したら大変なことになりますからね」。

上原「僕のことを言ってるんですか?(笑い)」
仲村「いえいえ(笑い)」。
(中略)
上原「泡盛にかける夢というのは、仲村さんの中で膨らんでいるんでしょう?」
仲村「そうですね。まだ道半ばというところなんですよ。残された人生、泡盛と共に生き続けますし、後輩たちも泡盛について学んでいるので、一応安心はしているんですが、安心し過ぎてはいけません。これからも泡盛に関する限り、世界に向かって声を大にしていきたいところです。ところであんた、(うるま085月号の上原さんのインタビューを見て)私とつながることを言ってるね。『本土思考が強かった時代ですが、沖縄のことを理解し、きっちりと足下を見ておかないとしっかりとした発言、主張ができないと考えていました。島うたには『歌半学』といっ言葉があり、歌を通して生き方や歴史などが学べます」。
上原「この『島うた』を『泡盛」に置き換えても同じですね。ヤマトに行って向こうの人に会うと沖縄の話になる。紅型や舞踊や歌、そして泡盛の話になる。そんな時に泡盛の知識というものを持っていると、会話も弾むんですよ。ワカタンフーナー(知ったかぶり)もしやすいですし」。
仲村「ワカタンフーナーはいかんけどね(笑い)。非常に嬉しいのは、ヤマトンチュにも沖縄に親しみを感じている方が非常に多くなって、旅行で沖縄に来たら、夜は琉球料理と泡盛を楽しんでいる。だけどヤマトンチュがウチナンチュよりも、泡盛に対する限り、勉強しているんですよ。我々沖縄インディアンはね(笑い)、しっかりした信念で、泡盛の知識を持っていたいですね。それが世界に広めることにもつながるんですね」。
上原「仲村さん、ニヘーデービタンサイ(ありがとうございました)」。(終わり)

上原直彦さんとの対談を終えた。此の人〝物知り〟である。あの有名な芝居〝丘の一本松〟は名優・大宜見小太郎さん(故人)の傑作だが、それに付けた歌の作詞は直彦さんだそうだ。今や世界の津々浦々まで響きわたる〝さんしんの日〟の発案者もこの人である。〝マタマジュンヌマヤー"の声もこの人だ。久米島の久米仙さん!まだまだこの人は引っ張り出して活躍させるテはありますよ。
2008年2月号掲載

仲村征幸の泡盛よもやま話 バックナンバーはコチラ

[PR]

関連記事

アーカイブ

更新情報

更新情報


プレスリリース

登録されているプレスリリースはございません。

ページ上部へ戻る