40年クースを賞でる 泡盛を愛した佐藤東男さん【2007年8号掲載】

   

2007_08第2代目沖縄国税事務所所長になったのは佐藤東男さんであった。
今から3234年も前のことである。当時の沖縄国税事務所は那覇市美栄橋の今の沖縄銀行本店裏の比嘉ビルの2、3階にあった。

第一回泡盛鑑評会はそこで開催されたが、ちょうどその頃に佐藤さんは赴任されていた。そしてこの人がだいぶ活躍されていた。当時は沖縄国税事務所と沖縄県・沖縄県酒造組合連合会の三者の共催であった。それがいつの間にか行政が主催するようになっている。

そして確か2回目から3回目と那覇市安里の昭和会館で行われた。当時の昭和会館は今のホテル西武オリオンである。一階には那覇税務署があってニ階が宴会場のホールになっていた。そこで開催された泡盛鑑評会でのことである。十余人の審査員の先生達がきき酒をして甲・乙を付けた泡盛をずらりと並べて一般公開をして、多くの人々が匂いを吟味したり、口に入れて舌でなめたり、思わずゴクンと喉に落としたり、見ていて微笑ましい光景であった。

そこへ〝ホーリーイヤー、ホーリーイヤーズ〟と言いながら右手にコップを持ってきて、佐藤さんが私仲村(記者)のところへ近寄ってきた。

「匂いを喚いでごらん」というのであった。私は嗅いでみてそのふくいたる香りと一緒に思わずゴクンと喉元へ流してしまった。聞けば佐藤さんの〝ホーリーイヤーズ〟とは四十年クースを指していて、「この秘蔵の宝物」の持ち主はオリオンビールの創業者具志堅宗精さんだと聞き二度ビックリしたものである。陳列されている泡盛たちの上座に「客酒」と書かれて座している一斗壷がそれであった。そこに私は具志堅宗精さんの奥の深さを見る田心いがした。

さて、参観者も殆ど帰っていたので私は佐藤さん、帰りましょうねと言ったところ、あ、そうか、私を置いて仲村さんは帰るのか、そうかそうかといや味にも聞こえたその言葉に私は長時間にわたりこの人と一緒に付き合わされた思い出がある。この人は国税庁在任中には広報官を歴任していたそうで幅広い視野をもっていた。

沖縄に赴任する時に沖縄に強い関心をもって勉強してきていた。チッポケなこの沖縄の基幹産業はさとうきびと琉球泡盛であることについては特にそうであった。しかし、いざ沖縄に着いて見ると琉球泡盛の製造業者個々については全く知らなかった。従ってどこからはいっていくべきなのか皆目解らずほとほと弱っていた。と私には見えた。そんな或る日、関税課長補佐のNさんから電話が入った。「局長が是非会いたいからご足労願いたいそうです」から事務所までお越しねがえませんか、というのであった。二つ返事で時間通りに局長(所長)室に行った。対面し私の右側には課長補佐が座った。案の定話は琉球泡盛についてである。造り人個人個人考え方や行動など微に入り細に入り具体的なこと等を私に答えを求めるのであった。しかし私はその都度相づちを打つが黙して語らず笑いながら軽く受け流した。

というは、その頃私の新聞の存在など取るに足らずで、実にその価値は認められず泡盛業界にとってはいつつぶれてもいい位のものであったからだ。で、私が口出す精神的なものではないと心に決めていた。右側の課長補佐氏は右手をこぶしにして盛んにソファを突いている。こういう時代だったのである。業を煮やしたというか私の態度に佐藤さんは遂に言い放った。「よく解りました仲村さん、それでは貴殿が見聞してきた事を『仲村メモ』として私に下さいませんか」ときた。口では言えないことを書いて出す位い、なら何でも書いてやろう、と私は大きくうなずいた。原稿用紙の何枚か相当な文字数を書いて佐藤さんに後日差し上げた。
【2007年9月号掲載に続く】
20078月号掲載

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