八重山に粟盛(あわもり)姓がある先祖は泡盛を造っていた【2007年11月掲載】

   

 

2007_11_1那覇市立松島中学校のPTA会長をしていた時に校長の仲原さんから八重山に〝泡盛という姓がありますよ〟と聞かされた。この校長はじめ川崎という教頭先生、仲間といっ教務主任など皆泡盛を飲んで大いに生徒たちの将来について論じ合った〝仲間たち〟であった。勿論放課後で、午後の5時過ぎで役員の男女の会議が終わった頃合いに校長が自分の口ッカーにしまって置いてある泡盛の一升びんを出して来て皆で飲み始めたものである。サーフーフーした頃に冒頭の校長の言葉は出てきたのである。飲みながら内心はシゴトが頭から離れない。その翌日私は一番でカメラをかついで八重山石垣島へ飛んだ。目的は、〝泡盛〟という人に会うためであった。石垣市字大川=357にこの人の住まいはあった。来意を告げると柔和な奥さんが心良く招じ入れてくれた。〝泡盛〟ではなく〝粟盛〟であった。

しかし、ひと文字違いであっても泡盛と無縁ではなかった。

粟盛広幸さん(56歳)は口数の少ない物静かな方である。いや先生であった。粟盛さんは戦時中に県立一中(第一中学校)を卒業、昭和二十六年以来ずっと教職にあり、現在は石垣市立伊原間中学校の校長先生であった。泡盛さん、いや粟盛さんの説明によると、先祖は首里で比嘉姓だったがその後元原姓となった。しかし、時の権力者から平民のぶんざいでケシカラン、ということで今の粟盛姓に変えたそうだ。粟盛さんの四代目位前まで粟で泡盛を造っていた酒造家で、粟盛姓を付けたと語っている。現在、大川には二軒の粟盛姓があってその本家となっているそうだ。この記事は1983年9月16日付小紙醸界飲料新聞第73号の5面の〝カメラルポ・八重山の「あわもり」さん訪問記〟という見出しで写真入りで粟盛さんご夫婦を紹介しているものだ。

今から25年も前である。ところで粟盛さん宅には〝家宝〟というべき酒器の「つるびん」の対がある。識者の話によると、昔、祝い用の酒器には「渡名喜びん」「びんしい(子)」「つるびん」「ゆしびん」などがあって、一番高貴とされたのが錫で、鉛、やちむん(陶器)の順だった。粟盛さんが所有しているのがこの錫のつるびんである。

底のほうには「元」の家紋がある。現在、部落での結婚式などには必ずこのつるびんを借りに来るそうだ。不思議なものでこのつるびん、誤ってへこませた時には大豆と水を入れて置くと元に戻るそうだからマカフシギ。

25年も前の記事だから粟盛さんもとっくに停年退職をして奥さん共々子やお孫さん達とすばらしい人生をお過ごしのことでしょう。「粟盛さーん、お元気ですか、25年前は突然おじゃましましてありがとうございました。」

この記事にもあるように粟盛さんの先祖はサキタリヤーだったのである。文献にもあるが昔々泡盛は米だけが原料ではなかった。

米何升に粟何升と混ぜて造っていた。勿論唐芋やさとうきびも原料としていた時代があった。この粟盛という姓は酒と関係があるのではなかろうか。遠い昔先人がサキと呼んでいたこの泡盛の名称は尋ねれば尋ねる程奥深く興味がある。筆者如き酒飲みは晩酌しながら時として泡盛という名前にいつ頃誰が付けたのかを考えながら飲むのであるが、その後は夢も見ずに桃源郷をさ迷うのがオチである。

〈狂歌四選〉

ゆだい玉ちらち
飲むえだぬ浮世
覚めて欲得ぬ
知らばちゃすが

朝タさんサキに
うぶりやいうしが
幾かたみ飲だが今ぬ間に

首だちんちかん
くちまでぃんすぷてぃ
かなしカラカラとぅな
世や明かち

すぐてぃ役立たん
ぬらてぃ役立たん
年とてぃぬアリや
扱けぐりさ
【2007年12月号掲載に続く】
2007年11月号掲載

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