1972年の業界展望(昭和47年1月30日)

  • [公開・発行日] 1972/01/30
    [ 最終更新日 ] 2016/05/23
   

泡盛~相対的には伸び悩み~

1972_1_30_1972-industry-outlook1971年は業界にとっては復帰に伴う諸制度の変革に対する思惑が交錯し、陳情合戦に火花を散らした年でもあった。

復帰に伴う諸制度の激変は沖縄の小中企業会を根底から揺さぶり、これまで保護されて来た県内産業はもろに被害を蒙り、倒産を余儀なくされる運命にあるとあっては、復帰公害も最たるものである。

幸い、特別措置による暫定法が設けられ、醸造業界も一応はその期限内に栄養をつけるべく安静期間が与えられた。先ず泡盛業界の場合、税率の軽減措置として本土税率から70%の軽減、つまり向こう5ヶ年間、1年次70%、2年次55%、3年次40%、4年次25%、5年次10%、つまり6年次、昭和52年(1977年)から本土税法並に準じていくという特別措置が講ぜられた。そしてその期間内に企業努力をして対本土企業に備えなさいと云うことだ。

泡盛業界の場合、銘柄間の競争が特に激しく、年々廃業者が出てきつつあり、今年も1~2の業者が消えようとする運命にあるようだが、これは都市銘柄が地方にだんだん浸透していくに従って今後ますます激しさが増していくことだろう。

近年の製造数量や島内販売数量は
【1968年】製造数量:3万6,483石、島内販売数量:3万1,893石
【1969年】製造数量:4万1,653石、島内販売数量:3万5,949石
【1970年】製造数量:4万2,753石、島内販売数量:4万0,022石
であり、去年1971年の製造数量は4万1,660石となっており、ここ1~2年間は相対的に伸び悩みの状態にあるのが現状である。

一方、輸出実績も芳しく無く、常時900石台という成績である。今後は他酒類間との競合による県内シェアの伸びは余り期待が持てそうになく、返還以後のフリー貿易による対本土市場の開拓が、どの業界の課題と云えよう。

泡盛業界にとっての目下の急務は、独自の容器開発、減税措置による各業者の資金ををどう扱うか、連合会の強化対策があがろうが、いずれも最重要課題であり、1972年は泡盛業界にとっては各人が一日たりといえども安閑な日は過ごせない厳しい年と云えよう。

清涼飲料~原料値上げで深刻化~

昨年はこの業界にとっては、まさに“ひん死の年”であった。

先ずぺプシの容器が爆発して消費者のド肝を抜いたかと思うと、今度はコカが負げじとこれまた爆発、続いて某社のものまで誘爆すると云う具合に発展した。しかし、それらは余り売り上げ全体にはさして影響を及ぼさなかった。

続いて異常干ばつである。全業者は完全にお手上げ状態にまで追い込まれ、それぞれ生産も半減、おまけに時間給水とあっては社員も通常の勤務状態ではやっていけず、交替制で徹夜作業も余儀なくされ、心身共に疲労困ぱいに陥入った。

こんな笑えぬエピソードもある。生産が間に合わず各得意先への割り当てで運んでいた斯界の最盛期での干ばつ当時、某社のセールスマンは那覇市内の或る2階に何ケースかを届けるよう社から云われたが、2階までかついで運ぶよりは労せず他のマチヤグヮーに入れた方がスケジュールとしてもよい、と考えたかどうかは知らないが、とにかくその2階には持っていかなかった。そのために、このセールスマンは直ちに首になったという。

理由はこうである。つまりその2階では、今まさに結婚披露宴が始まろうとしているが、肝心な飲みものが届かないのである。主催者側では某メーカーには何度も電話で催足するがメーカー側ではすでにうちのセールスマンが配達に廻っておりますとの返事。業を煮やした主催者側では急遽近隣の雑貨店からかき集めて何とか宴会に間に合わせたと云う次第である。

容器回収の悪化と銘柄に食われ、長い間消費者に親しまれていた某メーカーも、ついにその姿を消したのは昨年の暮れ近くである。

同社では「完全に廃業したのではなく、あくまでも関連企業への脱皮を図っているのであり、一定期間だけ休業しているのだ」と話しているが、すでに容器は某社が買いとり現在その手続き中であると云われている。

或るメーカーの場合、廃業もしないのに某紙に取りあげられカンカンに怒っている業者もいる。この業界も足並みが揃わぬまま復帰を迎えたわけだが、本土並みにコストを引きあげようとする業者と復帰の時点でとする業者があり、仲々意見がまとまらないようだ。

また、すでに独走態勢を続ける某大手メーカーは、すでに復帰後の従業員の賃金も1ドルを360円換算保証されたと云われ、また3月には更に新鋭機の増設に着手するようだ。この機は現在の某社の2倍の生産能力をもつものと云われ、残る業者にとってはいよいよ来るべきものが来たと今更ながら大手資本の威力をまざまざと見せつけられたと云った感じである。

この業界の急務は自動販売機の硬貨投入器の改造であろう。売り上げ全琉一を誇る某大手メーカーの場合、これだけでざっと60万ドルはかかると話しているが、これは各メーカー共頭痛のタネであろう。

又、容器改修の問題も今年は強く望まれようし、3月25日以降施行される食品衛生法の一部改正法に伴う、中味の表示、それによる消費者選択の自由は今後清飲業界にとって益々企業努力が要求されてこよう。

乳酸~同業者間 競争激化か~

大別してこの業界は外免2社を軸に動いている状態だが、最近某大手メーカーが産発資金の融資申請をしており、ガップリ4つに組む態勢である。

昨年はブルーシールに対する嫌がらせも頻繁に発生、つまり、新開店のドライブインなどで同業者がブルーシールは復帰までの製品であるからそう長くはない製品を取るより吾が社の製品を、と云ったあんばい。他社製品を中傷するようなこういう手口は断じて許せないが、同社でも復帰後も認められている業者に対する悪らつな攻勢には渋い顔をしている。

いっぽう、約10万本、と沖縄の人口の約12%のシェアを占めているヤクルトでは、45~50万くらいかけてワンウェー容器の開発に乗り出しているようであり、近く着手にかかるであろう。同社では衛生面のメリット、各販売店の労働時間の削減等を重視しており、合わせて人件費対策にも万全を期していく考えのようだ。

王冠~質の向上で企業対策~

以前3業者あったものが、現在は那覇王冠だけが残っているのが現状であり、いかに斯業が零細かつ地味な業種であるかが伺えるわけだが、こんな狭い沖縄の市場に日本クラウンが意欲を見せていると云われ、このような大企業が沖縄の市場だけを目的に進出してくることは断じて沖縄県としては許してはなるまい。

同社も語っているように、東南アジアへの中継地的役割をしつつ、沖縄人に利益をもたらす企業は歓迎したいといっているが、資本力にモノを云わせて沖縄市場に一時的に獲得のための乱売をし、挙げ句の果ては沖縄の産業を潰し、独占体制を固めんとするが如き企業に対しては、沖縄の全産業社一致して排除していく姿勢が強く望まれよう。

同社では各ボトラーにもすでに打診しており、了解を取り付け、設備投資にかかる態勢にあるが、今後、どんな本土業者が、どんな手段で出て来るか、先ず外資を狙うものと思われるが、十分な手を打つべきであろう。

洋酒~予断できぬ洋酒界~

洋酒も向こう5ヶ年間の暫定措置で185%の現行税率が認められ、この業界はほっと一息ついたというのが偽らざるところであろう。また、県内洋酒も1年次30%、以下45%、60%、75%、90%と向こう5ヶ年は保証されているが、復帰以後は文字通り実力勝負になりそうだ。

先ず、これまで派手に1ページ広告で消費者を釣っていた抽選券付セール、貼る、開きの何々観光もできなくなる。勢いその分を消費者に間接的に還元されてこようが、弱小資本にとっては益々苦しくなっていくことだろう。

現在2弗(ドル)20仙(セント)クラスが約1弗50仙になる予想だが、そうなると、愛飲者の嗜好にも変化が起こることも十分に考えられることであり、小企業でも、年間抽選券付きセールで約5万弗も費やしていたのが、今後は地道に有効な使い方ができるわけである。

大は大なりに益々業務店拡張に明け暮れており、1972年の洋酒界の天気図は予想できないというのが実情であろう。天下の●●ウイスキーの鼻息は最近特に荒くなってきており、攻防ところを変える日も迫りつつある現在、某社の二の舞いを演じなければよいが、と囁くその道の通の声も聞こえるがともあれ、1972年度の洋酒業界は消費率に於いて伸びていくことは間違いないであろうが、同時に劇的な変化に富む年ともあろう。

環衛~待たれる環衛公庫融資~

沖縄に於ける飲食店組合、社交業組合、理美容、クリーニング、食肉、興業営業者、旅館業、浴場業者をひとまとめにしてできているのが沖縄環境衛生同業組合である。

この業界は日常生活に密接な関係があり、これら特殊な業者が復帰の時点でスムーズに本土法体系下に移行できるように、厚生局では昨年11月、厚生省環境衛生局から原福太郎課長補佐、三好茂郎指導係長の両氏を招き、11月19日午後1時30分から、ゆうな荘で全業界代表者を集めた説明会を開いた。

これら業界は今日まで金融機関からは対象外とされてきた、云わば日蔭者的存在だっただけに、復帰後、環境衛生金融公庫の早期設立を訴え続けてきているだけに、質疑も活発化し、余りの発奮に脱線質問もとび出すほどの盛況さだった。

復帰後、沖縄開発金融公庫が設立されると、環境衛生金融公庫の業務は委託されるようだが、実現されると文字通り斯界にとっては大きな福音となる。本土では既に昭和32年(1957年)に環衛法が施行されているが、沖縄に適用されず復帰と同時にその恩典に浴することができる斯界にとって1972年度は輝かしい新年と云えそうだ。

貸付金の使途は営業に必要な資金、例えば衛生設備、近代化設備、店舗、従業員宿舎、独立開業(のれんわけ)などとなっており、貸付金の限度は一般貸付が最高1,000万まで、ただし業種は限られていて、
(1)国民旅館2,000万円まで
(2)浴場業は2,000万円まで
(3)クリーニング業5,000万円まで
となっており、特例貸付として飲食店、喫茶店、興業場、旅館業、浴場、食肉、食鶏肉販売業、クリーニング業となっている。

これら貸付は自己資金がなくてもできるが、できれば300万円くらいの自己資金は調達しておいたほうが良いと、同省では説明していたが、1日も早く同業界に具体的な福音がもたらされるよう関係者は待ち望んでいる。

ビール~ビールも戦国時代に~

本土に於けるサントリー、アサヒ、キリンの圧力は凄まじく、国会の委員の中にも同業界をバックの強い発言がみられ、いかに復帰後の沖縄市場が主戦場になるかを物語る。とある国会議員も述懐していたが、7年の暫定措置でその後本土法に準じていくということのようだ。

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