私の好きな酒 その2 泡盛 高良一夫(昭和45年1月1日)

  • [公開・発行日] 1970/01/01
    [ 最終更新日 ] 2015/12/04
   

イイソーグヮチデービル。沖縄でよく「酒トッテクワー」という言葉があるが、これは酒を盗って「取って」来いという意味にもなるが、1970_1_1_my-favorite-sake_takara-kazuo_okinawa-times実は店にある酒を買って来いと云うことである。

つまり酒というのは、いつどこの店にも飾ってあり、日常身近な所に預けてあるような気持ちと親近感が「酒トッテ(勝手)クワー」の言葉に置き換えられたものだと思う。

酒を飲み始めてから、かれこれ23年になるが、やはり泡盛が一番良い。自分の体質にあっているんでしょうか。これまで一度も胃を悪くしたことはない、話がはずめば酒もうまく、そんな場合は4合瓶と二合瓶を飲んでも非常に爽快な気分になり、翌日の仕事も楽しい。

終戦後タリヂャキ(自家用酒=今でいう密造酒)も随分飲んだが、今考えると隔世の感じがする。質、風味共に琉球泡盛は良くなった。私は沖縄のスカッチ(スコッチ)と呼んでいるが、何と云っても手近でしかも栄養豊富なサカナで飲めるのが嬉しい。メザシ、スクガラスー、トーフチャンプルー、ゴーヤーチャンプルーなんかは最も好きだ。泡盛は瓶からコップに注いで飲むよりも、琉球素焼きののカラカラーからチョコで飲むと格別うまい。やはり気分的なもんでしょう。

酒の上での失敗といえば、私が1945年頃、公務員をしていた当時、宮古に勤務していたが、昨晩痛飲して頭が重くなっている時に八重山から友人が5年ぶり訪ねてきたものだから、早速2人で一升瓶を平らげ、積もる話に花が咲いたのは言うまでもない。

友人は午後2時の便で八重山へ買えるというので、友人を船まで見送りに行ったのだが、まぁ出稿までまだ時間が有ると云うことで、2人で船室で又飲み始めたのは良いが、そのまま酔い潰れてしまった。

目が覚めてみたら、船はすでに岸壁を離れ、五百米(500m)位沖を一路八重山へ進んでいるではないか。デッキに駆け上り、飛び込もうとしたら後ろから船長に抱きかかえられたので、その船長にカクカクシカジカ職務のことや泳ぎに自信のあること等を説明したのだが、スクリューに巻き込まれるおそれがあるからと止められ、船長に慰められ、船長室でその晩は3人で酒を飲んだ。

ところが、翌朝第1便で宮古へ帰ってみたら家族のものは大騒動で、とにかく今で云う蒸発ということで捜索願を出していた。平謝りしたのは言うまでもない。冷汗ものだったね。高良一夫一生一代の不覚と今も肝に銘じている次第だが、とにかく酒の上での愚痴とかケンカ云い争いとかは酒を飲み始めてこの方ないのが私の自慢の1つである。

今の職場に入ってからは泡盛愛好家の當間重国さんから「洗心」と云う書をいただき額に入れて我が家にかけてある。何でも“君は酒で心を洗いなさい。そして泡盛のように澄みきった人間になれ”との意らしい。

あれから泡盛を飲むごとに自分の心も磨いていきたいと心の中では思っているが、果たしていつのことになるやら・・・。

ただ云えることは酒は鬱憤晴らしやケンカになる飲み方をするのは真に酒を愛する人とは云えない。飲んで静かにモノを考え、明日のアイディア等の根源にしていくところに酒の意味があるのではないだろうか。

「私の好きな酒 その3 ビール 根波朝造」に続く。

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