昔の新聞記者仲間がまた1人黄泉の国へ旅立ってしまった。去る6月17日の蒸し暑い日だった。
無類の酒好きで私とは馬が合う友人で、お互いの仕事がそれぞれ終ると農連市場界隈やガーブー川沿いの屋台でよく飲んだものである。
私達の青春の青春の心の支えだったその新聞社が倒産した時その彼は沖縄県社会福祉協議会に就職した。浪人暮しの私は彼が編集していた冊子の手伝いをしていた。
広い事務所の片隅に粗末な木の机腰掛けを与えられ、其処で創刊したのが私の醸界飲料新聞である。
今から32年前の1971年1月10日付の小紙第12号にその友人当山君が「酒は百楽の長」の大見出しで玉稿を寄せている。
ペンネームを伊坂義郎といった。
この名付親は作家の大城立裕さんで、飲むとよくそのことを自慢していたものである。いうところの文学青年ですごい読書家だった。
今回はその彼の文章の中から幾つかの笑い話を抜粋して紹介し、友の冥福をお祈りしたい…。
>>抜粋記事はじまり<<
「文字というのは不思議なもので、「薬」という字から草かんむりをとっただけで、こうも情勢が変ってくるのである。文字といえば、最近バーでも食堂でもやたらと横文字をつかいたがる。
メニューに日本語と並べて書いてあるぶんにはかまわないが、それをそのまま口に出していわれると、どうにもキザにきこえてしようがない。
例えば、ちょっとした食堂に入って、ソバとメシを注文すると、きまって「ソバ1つ、ライスつき」とくる。
あっさりソバも英語かなにかにしてしまえばよさそうなものである。
かと思うと、クラブと名のつくところではホステスも気どったもので、決して「ビール1本と」という通し方はしない。
「ワンビア」である。
なるほど、それならばと、試しに「ワンビア2本くれ」とやったら、うまくひっかかってそのまま通してしまったホステスがいた。
>>抜粋記事終わり<<
これが客の方になるとなおケッサクなことになる。
本土でもまだテレビが出はじめの頃、嘉手納航空隊に勤めていた軍作業員が数名で本土研修に行ったときの話である。
東京であるレストランに入ってメニューをひろげると、下の方に『当店はテレビジョンつきでお客様にサービス致しております』と書いてある。
それを見た1行の1人が心配そうにつぶやいた。
『オレはテレビというのはまだ食ったことはないけど、大丈夫だろうか』と。
2頁全12段通しにはもっともっと大胆な男女間の話や、「喧嘩の割り勘」「会議中のバー」「次善の策」「ブロークン飲酒」「酔ったふりして」「なくて7くせ」等々満載されているが紙幅の都合で割愛したい。
ジャズをこよなく愛し続けた男で、その発祥の地やそのいわれを教えてくれたのもこの友であった。
会葬の日は会場の横でジャズ仲間たちが荘重にジャズを奏で低く静かな歌が流れていた。
家族を愛し友の情を大事にし続けた愛酒家は今頃黄泉の仲間たちと一緒に玉杯を傾けているであろうか。
2002年11月号掲載