琉球泡盛のクース(古酒)づくりが今、盛んである。メーカーは勿論それに力を入れているが、愛飲者の間でも自分流のクースづくりが盛んに行われている。中にはグループでお互いに切磋琢磨しながらつくりを楽しんでいる方々もいる。泡盛という酒は長年貯蔵して置けば置くほど芳香が増しうま味が出てくる、ということを蔵人も消費者も知っているからである。
さて、このクースづくりは果たしていつ頃から始まったのであろうか。ま、俗説として、或る造り酒屋が工場の奥に甕に詰めて置いた泡盛を長年忘れていて屋内を整理している時に見つけ、味見したところ表現しがたいほどのうまさだった、という言い伝えもある。小紙譲界飲料新聞第42・43合併合(昭和52年1月7日付)に宮里興信琉球大学教授(故人)の「康煕(こうき)年間」というタイトルの玉稿が掲載されている。今から23年前である。少し長くなるが引用してみたい。
「中国清朝時代の1662年から1722年の康煕61年迄の60年間を康煕年間と稱している。この年間は琉球歴史、文化史総合年表によれば、琉球では尚質王就位15年目から尚貞王、尚益王を経て尚敬王10年目までに当たる。
また日本においては江戸時代の4代将軍家綱から8代吉宗7年目までの年代になっている。東恩納寛惇先生の御書『泡盛雑考』によれば、戦前首里の上流旧家(ウドゥン・トゥンチ・大名小名)に蔵していた古い上質のクース(古酒)のことを別名『康煕年間』或いは『康煕もの』とも称していたということである。
これは、康煕年間の頃から貯蔵してある最も年代の古い古酒であるということからつけられた呼称にちがいないと思われる。したがって古酒づくりの目的で酒を貯蔵することが此の年代に始まった、と推察されているようである。
しかし、酒貯蔵の発端は、古酒づくりが目的ではなく1666年に摂政に就任した偉大なる政治家羽地朝秀による飲酒のいき過ぎを取り締まったことによって、当時の大名方は自然と酒を貯蔵するようになったものと解するのが妥当であろう。
すなわち、節酒政策によって酒を貯蔵するようになり、これが何時の間にか芳醇な古酒となって首里の上流旧家に伝わったものと思われる。」と述べている。
山里永吉さん(故人)が戦前発行していた「月刊琉球」の昭和13年代の記事に、首里の松山王子尚順男爵邸には100年、200年、300年も経つクースがあったという。
そして来客ある晩はその客の品位を見て上等のクースを出すか、あまり上等でないクースにするかを女中に目くばせして出させたということである。男爵が古酒は沖縄の宝物と絶賛しているように、その奥の深さには脱帽するのみである。
今や若い人々の間でも結婚記念に、子供の誕生祝いに、入学記念等々にも5升壷、1斗壷入りの泡盛を買って熟成を楽しんでいるのが多い。いいクースを自ら育んで飲む、まことに平和でいい世の中である。
2002年5月号掲載