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【2005年9月号の続き】初めて国頭村の安波部落を訪ねたのは、今から34年も前のことであった。きっかけは「泡盛まさひろ」こと合資会社比嘉酒造(現まさひろ酒造株式会社)の比嘉昌広社長(故人)と同社長室での雑談であった。安波…
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沖縄がのどかで、人々がのびのびと生活を営んでいた時代、勿論軍靴の音も聞こえない戦前の古き良き時代の話・・・。瑞穂酒造の先々代社長、玉那覇有義さん(故人)から生前聞いた話によると、その頃のバサムチヤー(馬車引き)が現在の泡…
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神奈川の「泡盛文化の会」の仕掛け人、掛田勝朗さんからその発足当初から一度はぜひ横浜に来て泡感講話をして欲しい、との要望があった。ハイ、行くようにします、とその都度返事をしていたが、私は船での旅は楽しいがヒコーキでのそれは…
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しつこいようだが、今回もまたクース談義をしてみたい。或る国産ウイスキーメーカーが以前週刊誌でこう述べていた。「ウイスキーは樽からびん詰めにすると熟成は止まる」というのである。つまり、びんの中ではもはや熟成はしないというこ…
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ここに紹介するのはクースジャキの極付である。昭和48年6月1日付の小紙第25号に「この酒、100歳です」の見出しで100年クース記事が載っている。トップリードに曰く「遠く琉球王朝時代から珍重されてきた琉球泡盛も何百年もの…
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【2005年3月号の続き】 松山王子尚順遺稿から男爵の古酒づくりの話をしてみたい。松山王子尚順遺稿 その1 「私が古酒を作り初めた動機と其法を話す事にしよう。私…
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クース(長期間貯蔵した熟成酒) 時代の到来である。県内外を問わず飲む人、たしなまない人も自分流のクースづくりが盛んである。地域によっては月に1回20人ぐらいが相集い、5,000円~10,000円を出し合いクジで当った人は…
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1982年1月25日付の小紙第64・65合併号に「琉球泡盛への提言」という見出しで、株式会社沖縄三越の当時の代表取締役専務だった安元誠四郎さんという方の寄稿文が掲載されている。その中で同氏は琉球泡盛は「先ず飲ませること」…
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敗戦後のわが沖縄に外から最初に入ってきたビールは確かキリンだった。清酒は月桂冠でウイスキーはVOだったと憶えている。勿論あの頃にはわがオリオンビールは未だ誕生していなかった。清涼飲料では断然コカコーラが真ッ先であった。泰…
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小紙第7号(創刊1周年記念号)に実に面白い座談会の記事が載っている。出席者は石川逢篤さん(元泡盛メーカーで戦後は琉球火災海上保険(株)社長)、佐久本政良さん(咲元酒造前社長)、花城清用さん(戦前の琉球新報記者で戦後は沖縄…
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