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球大学農芸化学科の教授だった宮里興信先生(故人)は琉球泡盛の製造技術に多大な貢献をされた方であった。一方で琉球王府時代の紅こうじ研究にも情熱を注いでいたが、志半ばでこの世を去ってしまった。実に心おだやかなクリスチャンで静…
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与論献奉なる酒席での儀式をご存じであろうか。「第一条」与論献奉は与論固有の献奉で、与論島の象徴(誠の心)である。「第二条」与論献奉は金町民の真心を主賓に献上してから関係者全員に施行する。「第三条」与論献奉は適物適量を厳に…
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過日、日本の名陶工、島武巳さんと泡盛居酒屋「うりずん」で酌み交わしながら取材したクースづくりのカーミ(壺)について今回は話してみたい。以下はこの人の何十年間にわたり体験してきでのカーミに対する持論である。&n…
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県都那覇市にまたひとつ新名所が増えた。場所は首里金城町二の一(寒川から金城ダムに向かって行くとダムの手前左側の石畳道入り口。)店の名前が「石畳瑞盛館(いしだたみずいせいかん)・山城瑞成代表者」。食事と民俗資料館・泡盛資料…
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沖縄総合事務局の向い側に泡盛居酒屋があった頃の話であるからずい分古い話ではある。この店には総合事務局のヤマトゥンチュー職員が仕事帰りによく飲みに来ていた。カウンターで飲みながら彼達と雑談していると、こういう話をするのであ…
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掛田勝郎さんとの出合いは確か今から8年前であった。泡盛鑑評会の素人きき酒会で、場所は沖縄ハーバービューホテルホールだった、すぐに解け合い、話題は自然と泡盛に進んでいった。2次会は奥さんとお2人をお連れして安里の泡盛居酒屋…
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私の小さな本棚から酒類の文献を探していたら『ゴーヤー料理60選』なる本が出てきた。著者は松本料理学院院長の松本嘉代子さんである。発行所は月間沖縄社(協力・久米島新聞)で今から19年前の昭和59年となっている。読まれた方々…
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ご存じであろうか?ミーリンチューのことを。八重山石垣市でも今では殆ど造り手は居ない。私は過去に宮良に居るという話を聞いて部落を訪ね歩いたことがあるが、探せなかった。現在、唯一その昔の風習が受け継がれているのは与那国である…
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【2003年4月号の続き】八重山泡盛同好会は会長に新垣信行、副会長に黒島安典、伊波剛、事務局長に宮良用峯の各氏で発足した。那覇から高良一沖縄県泡盛同好会長、座間味宗徳副会長が自腹で飛んで来た。また、着任早々「泡盛男」とい…
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こんな面白い話がある。今から28年前の昭和51(1976)年3月5日に八重山泡盛同好会は発足している。その発足に向けて準備委員側と泡盛メーカ側との交渉が順調に進まなかった。困り果てた会長候補者の新垣信行さんから電話が入っ…
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