敗戦の焼け跡に姿を現した「民芸酒場 おもろ」は、画家の南風原朝光が名づけ、1953年からの長い歴史を刻んできた。ウイスキー時代に泡盛しか出さなかった店は「琉球新報」「沖縄タイムス」の記者たち、金城次郎をはじめ陶芸家、ニシムイの画家や詩人など沖縄文化を支える人士の溜まり場になった。沖縄ジァンジァンとの関係もあったため、本土から矢野顕子、水木しげる、筑紫哲也、永六輔など各界諸氏も訪れた。私は東京で就職した1977年から池袋の沖縄料理店「おもろ」に通いはじめた。店名は那覇「おもろ」にも通っていた山之口貘が命名。沖縄にも「おもろ」があると知った私は「朝日ジャーナル」の取材で初めて沖縄を訪れた1986年から客となる。初代店主の奥様である新垣ヨシ子さんがひとりで店に立っていた。ところが伝統あるその店が立ち退きを余儀なくされた。私は沖縄の人たちに、何とか店を保存できるよう動いていただけないかと呼びかけた。しかし結果的に暗闇に浮かびあがる特徴ある建物は、戦後沖縄文化を堆積した空間とともに、2022年11月に姿を消した。
ジュンク堂書店の森本浩平さんに誘われて三上智恵さんたちと泡盛を酌み交わした「レキオス」もまた閉店した。東京でもそうだが個性ある酒場が消失し、どこでも見かける全国チェーンの飲食店が増えつつある。沖縄県商工労働部と国会図書館に推移を示す統計があるかを問うたがないという。しかし沖縄に暮らす人たちにとっては変化が実感だ。栄町市場には「顔」のある酒場が多く残っているが、本土や海外からの観光客のためにも沖縄らしい歴史と空間のある店が生き残って欲しい。沖縄だけではない。個人営業に支えられた風格ある酒場の消失は、店主の高齢化、逝去、後継ぎ不在などが原因で本土でも目立ちつつある。東京の「おもろ」が5年前に消え、那覇の「おもろ」もなくなった。「何とか残したい」と語っていた新垣亮さん(4代目)の思いも頓挫したようだった。これが時代の流れなら仕方ない。無理だと諦めるしかなかった。ところが壺屋サンライズ通りに再開したと知った。
移転した酒場はたいてい雰囲気が一変する。懐かしい「民芸酒場 おもろ」の看板がある。戸を開ける。カウンターは前の店のもの。眼の前には益子焼の濱田庄司やイギリスの陶芸家だったバーナード・リーチたちが訪れたときの写真が掲げられている。山之口貘から贈られた「土の上には床がある」ではじまる「座布団」の詩が書かれた暖簾もある。焼失前の首里城正殿の柱の一部まであった。前の店が閉店になる前に大工哲弘コンサートや絵画個展をやったように、いずれ2階で催し物を開きたいという。そう、ひとつの「民芸酒場」が再生した。琉球・沖縄文化を継承する酒場がこれからも存続し、もっともっと多く育って欲しい。
著者プロフィール
有田芳生(ありた・よしふ)
1952年(昭和27年)京都府生まれ。
立命館大学経済学部卒業。
フリージャーナリストとして霊感商法、統一教会、オウム真理教による地下鉄サリン事件、北朝鮮拉致問題に取り組む。
日本テレビ系「ザ・ワイド」にコメンテーターとして12年半出演。
2010年参議院議員初当選、2期12年務める。
主な著書に『改訂新版 統一教会とは何か』(大月書店、2022年)、『北朝鮮 拉致問題 極秘文書から見える真実』(集英社新書、2022年)、『ヘイトスピーチとたたかう!』(岩波書店、2013年)、『テレサ・テン十年目の真実 私の家は山の向こう』(文藝春秋、2007年)等、多数。
移転した民芸酒場おもろの様子は”蒸留階級TV(YouTube)”にてご覧いただけます。
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