1981年5月1日付の小紙第61号に当時の沖縄国税事務所の忍頂寺主任鑑定官が1週間の日程でタイ国を訪問し、泡盛業界への帰国報告記事がある。
彼は「タイの米の生産高は全農産物の30%で輸出高は世界一で、12の商社がタイの輸出組合を組織している。それ等がタイ米を操作している。現在約1年かかって業界に売られている有様で、その間何ヶ月置きかに殺虫剤をかけられている。その度に米の質が悪くなっていく。早急に低温倉庫を作るなり何らかの方法を考えるべきと提案、これに対し泡盛業界から「現在約8000トンの原料米の買い付け価格と業者のそれとの差を単純計算して約5億円。それだけのカネがあれば低温倉庫はすぐにでも作れる。それが出来ると、米質も落ちずもっと良い酒も造れる」という意見が出されている。この問題は今後業界の大きな課題となりそうだ、と小紙記者は書いている。
去る6月12日に今年の原料米がタイ国から入って来た。
前述のように泡盛業界が32年も前に言って居た要望事項に低温倉庫は昭和55年から施されている。原料米の価格操作については微妙なところがあり、確たる価格については現在トン当り95000円だが、3ヶ月単位で変動すると県酒協では語っている。米質はうるち米で食用であり、泡盛の品質には当時と比べ格段の差がある。かつての“原料臭”や“泡盛臭”“異臭”は殆ど無くなっている。「殺虫剤の散布も原料米に生きている虫は殆ど居ない」と沖食の田里氏の話。くん蒸はタイで荷積みする時に一度やっている、という。安謝新港に入った6000トンの巨船の第一、第二の船倉いっぱいの1トン詰めの袋の泡盛原米を何日もかけて陸揚げし、その後空になった船、帰りはどうなるのか気になって船員達は(17人はみんなフィリピン人)に聞いてみた。そのままカラで帰るという。勿体ない、実に勿体ない話である。琉球王府時代からは遠く南の国々と小さな舟で交易した琉球民族、その民族の末裔たちは一体何を考えているのであろうか。昔の話、新里酒造の新里肇三さん(故人)が沖縄県酒造協同組合の理事長時代、タイ国から十数名のタイ米の生産農家や商社の人々が沖縄に観光した時、一夕東町の飲料店で歓迎の夕食会があった。その席上、新里さんが「タイ国産米で吾々は琉球泡盛を造っています。皆様が作った米で作った泡盛で今晩はゆっくり楽しみましょう」、と挨拶していた。替ってタイの人々は「道理で此の酒はうまいんだ」と返していた。泡盛業界に言いたい。海外の市場で泡盛を売り込むのは大いに結構だが、何百年もの長い間泡盛原料の米の生産国タイの政府に積極的に泡盛の売り込みを働きかけてはどうか。
6000トンのから船にわが琉球泡盛のクース入のりの1斗壺を満載してタイ国の港に横付けさせて欲しい。
平成25年8月17日掲載記事