【2006年8月号からの続き】
護佐喜お宮ヘ4~5人で水筒持って行って飲んだ。カラワタ(空腹)にカラジャキ(肴なし)ですから、お宮の急階段が下りられない。大嶺実清君(現芸大教授)に担がれて帰ったが、あれが酔いのはじまりですよね。しかしあの頃の泡盛は臭いがあったなぁ。
この辺でメーカーへの提言などを伺いたいんですが。
先ずPRからいいますと、地元の酒を飲んで下さいと、声を大にしてハッキリ言うことですね。私が一番ビックりしたのは鹿児島で第14回全国建築士大会があった時に、その懇談会に鹿児島市長が来て、挨拶の中で“白波”とは言わず「焼酎飲んだら二日酔いはしない。もし翌日二日酔いがあると、それは他酒類の故だ」と名言した。
その翌年、復帰して鹿児島で国体があって、桜島の噴火が激しくて中止するか、となったが決行された。この大会の開会式で市長が焼酎の宣伝をしたんですよ。大会でですよ。
「選手の皆さんはこの大会が終わったら腹いっぱい飲んで、お帰りには1本でも2本でもいいからお土産に持って帰って下さい。」(一同感心することしきり)。
行政と業者が一体となって自県産の焼酎を売り込んでいることは、沖縄も大いに見習うべきことです。また鹿児島の県・市の職員は日本全国どこ行っても自県産の焼酎を持って行って飲みながらPRしている。
ひるがえって那覇市に於いては国に対するお願いごとなどには、お土産に泡盛主体でやってきました。特に沖縄に於いても毎年行われている日本全国建築士大会に、宮古の泡盛を必ず引っ下げて行って宣伝をしている。
社長の名刺をはって、その開催県、大会本部、沖縄建築士大会に司会を通して各々1ケースずつ進呈している。
<ここで稲村さんが加わった>
ではそれだけでPRは済むかとなると、沖縄の連合会とか組合とか個々のメーカーがどうあるべきか、今後の大きな課題ではないでしょうかね。私も全国又は各ブロックの会合に参加する時は必ず泡盛を持って行きます。
そこで皆さんに飲んでもらって“泡盛はうまい”という評価を受けております。ヤマトのどこの割烹や料飲店に行っても泡盛はないかと聞く。そして出せと。沖縄帰って来たらどこどこに行ったら「あなたの泡盛がありましたよ。」と必ずそのメーカーに報告しております。
一番感銘するのは銀座7丁目にある新潟の“おねちゃん”の店「みの和」。紺碧1本で何10年も頑張ってる。それにゴーヤーチャンプルー、ソーミンチャンプルーと沖縄料理も豊富に出してくれる。県や連合会としても表彰状を上げるべきです。
そうですね。非常にいいお話ですね(一同領く)。
すばらしい店で、いいママさんですよ。私もよく行く店ですが、しばらく行かないとハガキがきて、「お元気ですか」とか気配りも最高ですね。行政やビジネスマンもよく行く所です。
要するに泡盛は県民自分自分たちが飲まなきゃ伸びないですよ。そして、なるべくいい泡盛を飲もうと。
今晩は金城さんの25年ものを飲んでおりますが、少なくとも私は5~6年ものを飲んでいる。私は県の工芸指導所に3年間居りましたが、紅型、ミンサー、芭蕉布のネクタイを必ず締めていますよ。みんな5~6本は持ってヤマトへも行くべきです。公務員だってそうあるべきですよ(皆同感の声あり)。
しかしネクタイにしろ、泡盛にしろ、もっと世界に通用するようなものを作れ、と言いたいですよね。僕はそれを言っているんですよ(このあたりから25年クースが効いて言葉づかいも鼻息もだんだん荒々しくなってきた)。
ありますよ。宮古の多良川がドイツで通用する泡盛を造っていますよ。向こうに支店を持っている話です。上野村のドイツ村も再現されつつあるんじゃないですかね。
【2006年10月号ヘ続く】
2006年9月号掲載
命がけの取材に泡盛をグッイ~“酒飲み大会”で酔いつぶれ~
具志堅宗精さんに学べ~欲しい大都市に酒連の直営店~
登録されているプレスリリースはございません。
2018/3/7
2017/12/6
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