右手首を複雑骨折す~右足を引っかけてドスン~

   

今一度酒飲みの失敗談を書いてみたい。宮古の桟橋通りに「中山」という居酒屋がある。awamori_yomoyama_88_nakamura-seikou_awamori-drunk_failure-story_vol2_complex-fractureそこで菊之露酒屋の若い杜氏3人と泡盛を飲んだ。そして酔った。

午後8時出港の琉球海運の船に乗るべく船へ急いだ。船へ行く途中の港内は真っ暗やみ。そこでランバーにつまづき、転んでしまった。右足を先にして右手をガクンとして、したたかに折った。つまり複雑骨折してしまった。が、そこは酒飲みの意地ぎたなさ、船中で飲もうと考え4合瓶に水割りの酒は左手にしっかりと支えていたのである。

船の梯子を上って船員にこの船に医者は居るか問うたら医者は乗っていないと云う。事の顛末を話たら「すぐ下りてタクシーで病院へ行きなさい」といわれ、今先の「中山」に行くと、先ほどの社氏たちがまだ飲んでいたので、一緒に連れて行ってもらった。

しかし当番の外科医が約1時間後に来た。2人の看護婦と医者が力いっぱい引っ張って手首の骨を元に戻そうとする。その痛さたるや全く地獄であった。結局応急処置を施されて沖縄県立宮古病院から帰された。

さて真夜中である。病院の玄関に客待ちしているタクシーにままよと乗り込んだ。あちこちの宿をノックするがどこも開けてくれない。運転手が向こうのヲバーだったらと、ノックをしたら1泊1,000円の前金だという。

しかし1,000円支払ったらタクシー賃がない。さんざん乗り回しておいて運賃が払えないときた。人のいいタクシーの運転手は支払える時でいいですよと言ってくれた。「川満次郎」といったな。

後日那覇に帰ってから「運賃」と謝礼をしたが、いまだにその時の恩が忘れられない。渡る世間に鬼はなしである。宮古へ行く度に思い出されることである。

さて、某市立病院ヘ通いはじめて右手首に固定したリス卜バンドを切る時に、外科医がギシギシやるのが、自分の腕を切られる思いで、看護婦が掴んでいるが気が気でない。医者はゲラゲラ笑うがこちらはそうはいかない。

これで呼吸が容易にできた。それからしばらく通院を続けた。その間も泡盛は毎晩欠かさずに飲んだ。外科医は「腫れるぞ飲んだら・・・。」と注意してくれたが、「何じゃそれくらいのことで・・・。」とハナにもかけずにいた。

明日はいよいよ手術と決まった。何階かに“小手術”と書いた寝台に寝かされた枕元には、小さなテレビがあって、2人の看護婦が私の額の汗をふいたり、盛んに気づかっている。3人の医者が付いていて、そのうち1人が右わき下に何度も何度も麻酔針をつきさすが、一向に効かない。

業を煮やしたベテラン医師が1回で脈をとらえた。それからは痛くも痒くもない。太いステンレス製の針がガチャガチャ音を立てているが、枕元のテレビに映されている血はガージェの何枚も積もってくる。

「大丈夫ですか仲村さん」と汗をフキフキ盛んに気づかってくれる2人の看護婦さん。小1時間くらいにステンレスの針を差し込んでハイ手術は終わり。家が近いので通院でよろしい、ときた。

それにしても、あの見習いの医者には今考えても腹が立つが、ま、これも身から出たサビだ。今晩も腫れるのはカクゴで一杯やろうか。

(仲村征幸 酒の失敗談 その2)

2006年6月号掲載

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